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和歌山の偉人「南方熊楠」生誕150年 ゆかりの地を訪ねる

2/25(土) 19:10配信

THE PAGE

博物学者の南方熊楠、後半生を田辺ですごす

和歌山の偉人「南方熊楠」生誕150年 ゆかりの地を訪ねる 撮影:北代靖典 THEPAGE大阪

 世界的に活躍した博物学者の南方熊楠(1867~1941)が今年、生誕から150周年を迎える。後半生を過ごした田辺市には「南方熊楠顕彰館」「南方熊楠邸」や、静かに眠る墓もある。「これを機に郷土の偉人を広く知ってもらおうと、さまざまな角度から熊楠の魅力に迫る記念事業を計画しています」(田辺市観光振興課)という。熊楠とは一体、どんな人物だったのか。

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民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在

 熊楠は、和歌山市に生まれた。東京大学予備門を中退後に米英に遊学。後年、18か国もの言語を操ったとされる。帰国後の1904年(明治37)、田辺に住み、後半生の研究と生活の拠点とした。

 博物学、宗教学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在だが、中でも最大の研究対象は粘菌(変形菌)だった。熊楠自身が採取したものも含め、約7000点の粘菌標本が残っている。粘菌とは朽木や土壌に棲む極小の生物のことで、動物と植物(菌類)の間の性質を持つという。

 「南方熊楠顕彰館」を運営する顕彰会事務局・西尾浩樹氏はこう話す。

 「かなり高等な学問を学んできたから、こういった人物になったと思われます。晩年の37年間を田辺で過ごし、最晩年の25年を過ごしたのが(当館の)隣の南方邸になります。こちらのほうで亡くなっております。いちばん有名なのが変形菌(粘菌)です。ちょうど今年が生誕150周年。東京大学の予備門の同級生たちも当然150周年になり、非常にライバルが多いです。同級生には夏目漱石、正岡子規らがいます」

 同館では熊楠の数々の功績、様々な分野の研究を紹介しているほか、隣接する「南方熊楠邸」(登録有形文化財)に遺された蔵書、資料など約2万5000点を収蔵。昭和天皇にキャラメル箱に入れた粘菌類の標本を献上した逸話など、世界に誇る偉人の足跡を知ることができる。

亡くなるまで25年間暮らした南方邸は一般公開

 娘さん(故人)から田辺市に寄贈され、享年75歳で亡くなるまで25年間暮らした南方邸は一般公開されており、新種の粘菌もここの庭の柿の木から発見したという。研究園としていた庭や書斎など熊楠の息遣いが感じられるのではないか。

 数ある業績の中でも、現在注目を浴びているのが、明治政府が行った神社合祀政策に反対し、日本に入ってきたばかりの「エコロジー」という言葉を使って自然保護運動を行ったこと。「エコロジーの先駆者」とも呼ばれ、生態系が壊れる恐ろしさを訴えた。熊楠の反対運動によって守られた神社や神社林は熊野古道沿いにも点々と残っているという。

 そんな熊楠が静かに眠っているのが「高山寺」。田辺の市街地を一望できる高台にあり、弘法大師が開創したとされる真言宗の古刹だ。ここに熊楠の墓があるが、曽我部大剛住職は「偉人にあやかりたいということでしょうか。墓石が時々、削られています」と話している。

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最終更新:3/3(金) 18:04
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