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失われた日常を、取り戻すために。阪神淡路大震災から熊本地震へ、つながるバトン

2/25(土) 8:00配信

BuzzFeed Japan

阪神大震災で被災した女性が、愛知県の高校生と一緒に、熊本地震の現状を伝える活動をしている。「日常を失った」。一度、そんな経験をしたからこそ。そして、被災時は自分も高校生だったからこそ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

【写真】まだ、あの日のまま。熊本地震、被災地を収めた写真たち

生徒たちは、2月25~26日に名古屋市で開かれる「ほっと@九州フェア」で、被災地で感じたことをプレゼンする。

阪神淡路大震災から22年。熊本地震から、もう少しで1年。彼女は、何を思い、ふたつの震災を結びつけたのか。

真っ赤になった、神戸の空

「街が潰れてしまった様子は、本当にショックでしたね」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、JR東海の社員、阪口杏沙さん(39)だ。

地震があったときは、高校2年生だった。いつものように、友達と電話をしてから床についた。本当だったら、いつも通りの朝が来るはずだった。

1995年1月17日、午前5時46分。最大震度7の地震が、兵庫県南部を襲った。

「私が住んでいた家は海のはたにありました。突然、ドーンという突き上げと、地割れの音が聞こえて。それまで大きな地震を経験したこともなく、最初は何が起きたのかわかりませんでした」

あわてて起き上がった。揺れが収まって気がつくと、家は傾いていた。

着の身着のまま、両親や兄姉、祖母と近くの公園に身を寄せて一晩を過ごした。その日の空は、真っ赤だった。

「人って、こんな簡単に死んじゃうんだ」

液状化で、辺りの土砂は噴出。地割れだらけになり、インフラはすべて途絶した。家では暮らすことができなくなり、避難生活が始まった。

なかでも忘れられないのは、被災直後、市役所で過ごした数日間の記憶だ。

被災した人たちでいっぱいだったロビー。殺伐とした空間に、次々と毛布に包まれた遺体が運び込まれてくる。

「あんな大量の遺体を見たことはいままで、ありませんでした。人ってこんな簡単に死んじゃうんだな、と。強いところもあるけれど、弱いんだなって」

遺体の腐敗を防ぐためのドライアイス、そして漂う線香の匂い。泣き叫ぶ声。生き埋めになってるんです、と自衛隊員や消防員にすがる人々……。

高校で、同じ華道部だった友人を失った。自宅アパートが潰れて弟とともに亡くなり、母親だけ取り残されたのだと、一週間後になって知った。

当初は大きく地震を報じていたマスメディアは、東京で起きた地下鉄サリン事件のことばかりを、伝えるようになっていた。

「さみしかったですよね。どんどん忘れられていくんだろうなって」

こうした記憶を語ることは、これまでなかなかできなかったという。震災から、22年と少しが経ったとしても。

「地震の前にあった日常はけっきょく、戻らないままでした」

そう言いながら、阪口さんは嗚咽した。「もう、大丈夫かなって思ってたんですけど」。

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最終更新:2/26(日) 0:46
BuzzFeed Japan