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拉致疑いも国内発見の男性が心境 宮内和也さん「迷惑掛けた」

福井新聞ONLINE 2/26(日) 8:12配信

 北朝鮮による拉致の疑いが濃厚な特定失踪者としてリストに挙がり、昨年6月に19年ぶりに国内で発見された福井県旧三方町職員の宮内和也さん(52)が25日、同県敦賀市内で福井新聞のインタビューに応じた。失踪当時の状況、19年間の深い悩みや葛藤を打ち明け「二度と古里には戻れないと思った。迷惑を掛けて申し訳ない」と頭を下げた。

 ■失踪の状況

 失踪した1997年4月24日夕、カヌーで海に出て、ロシアタンカー重油流出事故の影響がないか調べていた。インストラクターとして子ども向けのカヌー研修を夏場に控えていたためだ。海は荒れていたが、沖縄ではもっと大きな波を経験しており、大丈夫だと思った。

 途中で転覆。カヌーとパドルを引っ張って岸に向かって泳いだが、パドルが顔に当たって前歯が欠けた。カヌーとパドルを手放し、着ていたジャンパーを脱ぎ、死に物狂いで泳ぎ着いた。

 仕事はインストラクターだけでなく、プールや体育館の管理などもあり、全て1人でこなしていた。夏場はほとんど休みなし。仕事のプレッシャーもあって、何もかもが嫌になり、逃げ出したくなってしまった。

 2、3万円入った財布を持ち、夜通し旧上中町(現・同県若狭町)まで歩き、(滋賀県の)今津行きのバスに乗り大阪に出た。とにかく誰にも見つからない場所に行きたかった。

 ■大阪での生活

 大阪に着き1週間ほど公園で野宿した。運送の仕分けなどの日雇いでお金をもらった。住居は転々とした。

 現在は大阪市内のアパートに1人で住み、サービス業の社員として働いている。特定失踪者という過去を知っているのは会社の幹部だけで、職場では偽名を使っている。

 自分に拉致の疑いがかけられていることを知ったのは、失踪してから1、2年後。雑誌か何かで読んだ。自分のニュースを見るのは嫌だったが、両親や子どもの情報が得られるのもそのニュースだけだった。ああ、おやじ元気そうやな、母ちゃん腰曲がってきたなとかも、拉致のニュースでしか知ることができなかった。つらかった。

 警察が国内発見を発表した前日の昨年6月15日、自宅を出たときに、敦賀署の方らに「宮内さんですね」と言われ「はい、そうです」と答えた。三方町職員だったときの自分を知っている人が、大阪のバスの中で私を見かけ、警察に伝えたらしい。

 そのときは正直ホッとした。名前を偽り、見つからないように生活することに疲れていたからだと思う。

 ■拉致問題への思い

 私は2003年に特定失踪者問題調査会のリストに掲載され、08年には拉致の疑いが濃厚な1000番台リストに追加された。多くの人に迷惑をかけ、古里には二度と帰れない、のたれ死んでもいいと思った。

 自分が国内で見つかったことで、特定失踪者の活動の妨げになっているとしたら、本当に申し訳ない。地元の人にも一軒一軒回って謝らなければいけないが、それでは逆に迷惑がかかると思い、マスコミを通じて自分の気持ちを伝えたかった。

 若狭町からは給与返還請求がきているが、私がいない間、そのお金で子どもを大きくしてもらった。返していくのが当然だと思っている。

最終更新:2/26(日) 14:16

福井新聞ONLINE