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代表に「なりたい」ではなく「ならなければいけない」という覚悟 ~車椅子バスケ・森谷幸生~

2/27(月) 16:01配信

カンパラプレス

「森谷幸生」。彼の名を初めて耳にしたのは、昨年4月の関東カップのことだ。所属するNO EXCUSEのマネジャーから「注目の新人」の一人として挙げられた選手だった。そして、当時同チームの指揮官を務めていた及川晋平現日本代表ヘッドコーチ(HC)からも「チームの今後を担う選手として成長を期待している若手」の一人に挙げられていた。だが、その時はまだチームにフィットしてないように感じられた。実は大会直前に右足の人工関節が折れるというアクシデントに見舞われ、その時は本格的に練習復帰して間もない時期で、体力的にも精神的にも、実力を発揮するには至っていなかったのだ。ようやく彼本来の姿を見ることができたのは、その1カ月後のことだった――。

バスケ人生をかけたフリースロー

 2016年5月の日本選手権。森谷は、初戦から準決勝までの3試合でスターティングメンバーの一人に抜擢された。それは、「全員が戦力」という方針のもとでチーム作りを行なっている中でも、彼が主力の一人として認められていたことの何よりの証だったに違いなかった。実際に森谷のプレーを見ても、そこには積極的にゴールに向かう姿があった。そして、森谷にとってその日本選手権は次のステージに向かう上での大きな「転機」となっていた。

 大会2日目の準決勝、相手は史上初の8連覇を狙う強豪の宮城MAX。NO EXCUSEにとっては、最大のヤマ場であった。その大一番の試合でスタメンに抜擢された森谷は、今までに感じたことのないほどの緊張感に包まれていた。体も心もガチガチにかたまっていた。スタメン発表の折、アナウンサーが「もりやゆきたか」を「もりたにこうせい」と読み間違えたことでチームに笑いが生じ、少しだけ緊張が緩んだものの、初めて経験する日本選手権の準決勝は、森谷にとってはまさに「大舞台」であることに変わりはなかった。

 試合は、宮城MAXのエース藤本怜央がアウトサイドからのシュートを次々と決めてみせてリードを奪うと、負けじとNO EXCUSEのエース香西宏昭もスリーポイントなどで応戦するという、日本を代表する2人のシュート合戦の模様となった。

 そんな中、藤本と香西以外で初めてシュートを決めたのが、森谷だった。第1クオーター中盤、シュートチャンスに宮城MAXの豊島英からファウルを受け、森谷に2本のフリースローが与えられた。その時、彼の頭によぎったのは4年前の苦い思い出だった――。

 2013年4月、U23日本代表としてドバイで行なわれた国際大会に出場した森谷はある試合で、フリースローを11本与えられながら、わずか1本しか入れることができなかった。

「相手にしてみたら簡単ですよね。いくら高さがあって、インサイドでいいポジションを取っても、どうせフリースローが入らないんだから、ファウルで止めておけばいい、というふうに思われていたのだと思います。それが悔しくて悔して……。そんな思いはもう二度としたくないと思って、その後、ずっとフリースローの練習を大事にしてきたんです」

 そんな中で巡ってきた大舞台でのフリースロー。森谷は自らにプレッシャーをかけていた。
「ふと周りをみたら、予想以上に観客の数がすごくて、ビックリしたんです。しかも、決勝に行くかどうか、あの宮城MAXとの準決勝という大舞台。そんなすごい試合に、僕はスタメンに出してもらっている。そう考えたら、絶対にこのフリースローは2本入れなくちゃいけないと思いました。ここで外すくらいの選手なら、この先、こういう大舞台に立つ資格はないなと」

 ボールを支える左手が小刻みに震え、1本目はわずかに手元に狂いが生じた。一瞬、「外れた……」と思ったが、リングでの当たり所が良く、ボールはネットの中へと入っていった。森谷は思わず、ふぅっと大きく息を吐いた。そして、「大事なのは次だ」と、再びプレッシャーをかけて2本目に臨んだ。今度はボールが手を離れた瞬間、「よし!」という手応えがあった。実際、ボールはきれいな弧を描き、スパッと心地いい音を響かせながら、ネットに吸い込まれていった。

「ボールが入ったのを見届けた時、ようやく自分がスタートに立った気がしました」
 それは、その試合の「スタート」というだけでなく、車椅子バスケ人生におけるもう一段上のステージの「スタート」でもあった。

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最終更新:7/14(金) 19:59
カンパラプレス