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知られざる日本の「防衛装備・技術協力」とは?

2/28(火) 23:56配信

THE PAGE

 2016年6月、アジア太平洋地域の国防大臣などが多数参加するアジア安全保障会議がシンガポールで開催されました。日本からは中谷防衛大臣が参加し、会議の中で、地域の平和と安定のために日本が行う活動に関する新しい方針を示しました。その方針が「ハイブリッドな国際防衛協力」です。各種の活動を有機的に組み合わせようとするこの方針の柱とされるのは「能力構築支援」、「共同訓練」、「防衛装備・技術協力」と呼ばれる3つの活動です。普段あまり見聞きする機会がないこれらの活動ですが、実は、政府は様々な意図を持って活動を進めており、それを担う現場では幾人もの隊員が汗を流しています。そこで、「ハイブリッドな国際防衛協力」という新たな方針が示された機会をとらえ、これまで複数回に分けて、支援の柱とされる活動について紹介してきました。最終回となる本記事では、主に防衛省が進める「防衛装備・技術協力」に焦点を当てます。

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 「政府は(中略)相互交流の一環として(中略)、米国に対し武器技術を供与する道を開くこと(中略)を決定いたしました」。1983年、中曽根総理大臣は国会でそう演説しました。いわゆる武器輸出三原則等によって、武器や関連技術の輸出を事実上禁止してきた日本が、「例外化」という手段を使って、軍事技術に係る接点を他国と持つことを宣言した瞬間です。日本は以後、国防のために用いる装備や技術に関する研究や開発などを、他国と協力して進めることができるようになりました。これが、「防衛装備・技術協力」(以下、装備協力)です。日本は従来、米国とのみ装備協力を行ってきましたが、近年は米国以外の国々とも協力を進めるようになり、今後は協力の形態も多様化していくことが見込まれます。

日本の装備協力の知見を育んだ日米協力

 日本の防衛装備・技術協力は、従来、研究開発を中心に、同盟国である米国との間だけで進められてきました。実は、日米間の装備協力の起源は60年以上前にまでさかのぼります。日米装備協力の起源は、1954年に結ばれた「日米相互防衛援助協定」です。ただし、この協定が結ばれてから約30年間は、「相互」とはいえ、米国が日本に軍艦を貸与するなど、米国から日本に対する一方向の協力関係が続きました。

日本が双方向の協力関係に途を開いたのは、冒頭でも言及した、1983年のことです。日米はこれまでに20件以上の共同研究・開発を米国と行ってきました。その中で最も長期的な協力は、弾道ミサイルを迎撃するための新型ミサイル「SM-3BlockIIA」(エスエム・スリー・ブロック・ツー・エー)に関するもので、約20年間続いています(図1参照)。ちなみに、日米で開発したSM-3BlockIIAは、将来的に日米で共同生産され、日本だけではなく東欧にも配備される予定です。これが実現すれば、日本の技術がヨーロッパの平和を守ることに貢献することになります。

 長年、装備協力を進めてきた日本と米国ですが、安定的に協力を進めるための機能や政府間の枠組みも整えてきました。例えば、協力を進めるにあたって米国側の窓口としての機能の果たす、在日米大使館の「相互防衛援助室」(MDAO:エムダオ)の設置や、日米両政府の政策の調整を図る枠組である「日米装備・技術定期協議」(S&TF:エス・アンド・ティーエフ)は、その代表例です。このように、日本は長年にわたる米国との協力を通じて、装備協力に関する経験と実績を積み上げてきました。

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最終更新:3/6(月) 18:04
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