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YKK会長が語る、エネルギーを極力使わない黒部パッシブタウン

3/1(水) 17:01配信

ニュースソクラ

「わが経営」を語る 吉田忠裕YKK会長CEO(4)

 ――富山県黒部市で取り組んでいる「パッシブタウン黒部モデル」の住宅開発は、第1期36戸に続いて第2期44戸が昨年11月に竣工しましたね。

 第2期は私が大変尊敬している建築家の槇文彦さんによる建物なんです。槇さんとは、「前沢ガーデンハウス」(ゲストハウス)を建てるとき、1980年に初めてお会いして設計していただいて以来のお付き合いです。

 槇さんは日本でトップクラスの建築家ですから、お願いするのは失礼かなと思いました。ただしパッシブタウンという変わったテーマなので、お話してみたら「やりたい」とおっしゃってくださったのです。

 目指しているのは、自然を生かしてエネルギーを使わないパッシブデザインの建物を作ることです。太陽光にあまり恵まれない北陸の地ですが、黒部川の伏流水が海に流れ込んでいます。海に近いので風もあります。この地下水や空気などの自然を活用するとともに、生活の知恵によってエネルギーを極力使わないようにしたい。

 だから住まい方も大事です。例えば寒暖に応じて窓の開け閉めをどうするのか。それにふさわしい建物を植栽も含めて造ろうというわけです。どうすると、エネルギーがどれくらい要らないのか、工期ごとに違う先生に設計をお願いしています。

 ――どのように選んでいるのですか。

 第1期は小玉祐一郎先生(神戸芸術工科大学現名誉教授)です。建設省建築研究所出身で、40年以上も日本でパッシブデザインを研究された、いわばパッシブの元祖のような先生にお願いしました。

 第3期は、森みわさんという女性です。ドイツで勉強していろいろ仕事をして、日本でも一般社団法人パッシブハウス・ジャパンを作って代表をされています。

 1期目は日本系のパッシブ、3期目はドイツ系です。第2期はパッシブだけで槇先生にお願いしたのではありません。果たしてあの美しいシャープなデザインで、なおかつパッシブの性能を追求することが可能なのか。

 デザインがシャープということは、いろんなところが薄かったり細かったりするわけです。そこを断熱のためにくるんでしまうと、槇先生のシャープさが出るだろうかと、我々は心配しました。しかし日本にあまり紹介されていない適した部材を海外で探し出せたのが、今回よかった点です。槇先生のデザインも、パッシブ度もともにいいものができました。

 ――では設計への制約はなかったのですか。

 制約はありません。もちろん設計そのものもパッシブに合ったものになっています。

 このように、結局、コンペのようにしているので、私はすごくいやらしい経営者だと自分で言っているんです(笑)。4期、5期、6期は、まだどなたか決まっていません。

 すぐにやりたいと言う方がいますが、うかつに手を挙げない方がいいですよ。これはコンペのようなものだから、あなたが他の方より劣っていると、あなたの評価が悪くなる。

 フェアに評価するために、東京理科大学の井上隆教授を委員長に数人の専門家で評価委員会を作っています。それぞれ夏と冬を2回ずつ2年間、見ていただきます。井上先生は学会で発表できるくらいのデータを集めようと意気込んでおられるので、よかったなと思います。

 世界中の建築家に挑戦してもらって、エネルギーの消費量が実際にこれだけ減ると証明できたら、私たちは外に向けてデータをオープンにします。みんなで利用してくれたら非常に有り難い。それが社会への貢献で、私が一番面白いと思うことなんです。

 ――YKKグループは80年余りの歴史があり、2017年3月期に連結で売上高7100億円、営業利益580億円を見込む大企業です。それでも保守的にならずに、吉田さんは新しい課題をどんどん提起されている。

 いえいえ、うちは中小企業の集まりだと思っています。パッシブタウンにしても、楽しんでいるんです。楽しくなかったらやりませんよ。面倒なことをやりだす嫌な経営者と、人から言われようと、それによって何かよいことを得られる人たちがいればいいと思うんです。

 ――ほかにも山羊を飼ってチーズ作りをするなど多彩ですね。先代の吉田忠雄さんも自動車製造に乗り出そうとされたわけですね。

 あの人もいろんなものをやりたがった。どこかDNAがつながっているのでしょうね。だけど私がやっている多くは、吉田忠雄がやったことの後始末です。例えばブラジルの農場でコーヒーを育てて豆を輸入販売してるのがそれです。

 日本の農業は工業のようにやらなくては駄目だと言っていたのですが、農家の人たちは「面白かった」で終わって何もやらない。やってみせなければと言って、曲折を経てブラジルで農場経営を始めたのです。

 しかし吉田忠雄は農場に一度も行かずに亡くなりました。現在、コーヒー事業を担当する会社カフェ・ボンフィーノは、おかげさまで利益が出ています。社長の青木正登君がこれまたユニークなことばかりやってくれて感謝しています。ミャンマーで軍事政権時代にサービスアパートメントを造ったのも彼です。

 「ゴールデンヒルタワー」と言いまして現地で最大で通信設備から何でもそろっていて、今や空き室待ちが出ています。250人のスタッフは帰属意識があって、引き抜きにも応じません。

 私はこの人たちのために何かしなくてはと思い、「君たち、国際化しろ」と、今、黒部市のパッシブタウンでサービスアパートメントをやろうと検討中です。ここで成功したら、日本中でやってもいいと言っています。みんな真面目でやる気満々です。

(吉田氏のインタビューは今回で終わりです)

■聞き手 森 一夫(経済ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。

最終更新:3/1(水) 17:01
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