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愛する人はそこにいる 震災遺族が霊場・恐山に向かう理由

3/2(木) 7:00配信

BuzzFeed Japan

彼らは何のために恐山を訪れるのか?住職代理が明かす、その理由

「実は恐山にいったんだ」。いつのころからか、東日本大震災の被災地を歩いていると、こんな話をちらほら聞くようになった。私だけではない。他の取材者からもそう聞く。遺族は亡くなった人に会いたい、と足を運ぶ。ほんとうに行けば死者に会えるのか?恐山菩提寺の住職代理、南直哉さんが語る、あの震災からの恐山……。【石戸諭 / BuzzFeed】

岩でできた丘から湧き上がる煙、硫黄の匂いが充満する。丘の上から広がる湖面が見える。岸には小石が積み上がっている。

そこは青森県下北半島・恐山。

非日常の空間だけが持つ、場の力が人の心を解放するのだろうか。人々は湖に向かって、亡くなった人の名前を大きな声で叫ぶ。

「恐山は死者がいる、あるいは死者を想う人たちがいる場所です。大事な人を亡くしたとき、あなただって想い出すことはないですか?」
「人と人との関係は亡くなったからといって絶たれることはありません。亡くなってからも、死者として実在しているんです」

そう語るのは著書「恐山」などで知られる南さんである。当事者として関わりながら、恐山とは何かを考えてきた。

死者がいる、とは?

東日本大震災の遺族が恐山へ向かう理由、それを南さんは「死者がいるから」だという。

死者とは「霊魂」とか「死後の世界」という意味か。そうではない。
死者は生前の濃密な関係から生まれ、リアルに存在している。

こんな事例で考えてみよう。

ある日、突然、愛する人を亡くしたと想像してみる。例えば、それが東日本大震災でとても多かった、子供の死だとする。

もし子供が亡くなったら、親子関係は終わるのだろうか? 親子の愛情はそんなことで終わりはしない。

実際に取材で会った遺族は、子供が亡くなっても親は親のままだと語っていた。私たちはそれを自然な感情だと思い、遺族の言葉を受け取っている。

亡くなっても、大切な友人は友人のまま、愛する人は愛する人のまま、私たちは大切に想い続けている。

それこそが死者だ。死者は私たちに強く働きかけることがある。

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最終更新:3/2(木) 9:02
BuzzFeed Japan