ここから本文です

戦時中、兵士たちに夢をみせた元アイドル。97歳「まっちゃん」に話を聞いた

2017/3/4(土) 6:00配信

BuzzFeed Japan

アイドルにも及んだ戦争の影

「戦前は華やいでいましたけれど、戦中は街そのものが暗くなりましたね。盧溝橋事件(1937年、日中戦争の引き金になった事件)のあたりから、灰色の世の中になってきました」

「始まった直後、ひどくなかった時代はわりあい、世の中全体がのんびりしていましたけれど。まあ私たちも若かったせいか、そういう世の中だからと割り切っていましたよ。お客様も毎日見えるのだから、お勤めしないと、と」

戦時色が強まるなかでも、ムーランの人気は衰えることはなかった。いや、そういう時代だからこそ、求められていた存在だった。

一方で、検閲も始まった。「自由な作風」で知られるムーランの脚本や演劇の内容は、当時の軍や政府からすれば邪魔者だったのだろう。

劇場の名前は「作文館」に変わった。客席には警察官が常駐するようになり、芝居を途中で止められることもあったという。

ただ、軍だってアイドルたちを邪険に扱うだけではなかった。国策の一つとして、彼女たちを利用したのだ。

陸軍も海軍も独自の「アイドル雑誌」を発行していた。戦地に送るためのもので、目的はもちろん、兵士の戦意発揚だ。明日さんも、そこでグラビアを飾ったことがある。

兵士たちは毎月戦地に届くその雑誌を心待ちにしていたという。鉄兜にブロマイドを挟んで戦ったり、戦地から「ファンレター」を送ったりしていたという話も残っている。

それもそうだろう。前線にいたのは、多くが20代。少し前まで、ムーランに足しげく通っていたような、普通の男の子だったのだから。

「まっちゃん万歳」と叫んだ兵士たち

1943年、戦争の雲行きが怪しくなり、学徒出陣が始まったころ。こんなことがあった。

ムーランにきた学生たちが突然、「まっちゃん万歳」と叫んだのだ。聞けば、客たちはみな、出征前夜だった。

「戦地へやられる、最後のムーランだっていう気持ちがあって、万歳三唱したんでしょう」

同じような出征前の兵士に、路上で刺されそうになったこともあった。

「劇場に通っている途中、飯田橋あたりで。軍事練習した帰りの学生さんが『明日さん』っていうから、はいと思ってみたら、銃剣を目の前に出されたんです」

近くにいた兵士の友人が慌てて止めに入り、ことなきを得たという。

しかし、いまでも「彼はとてもつらく、死んでしまいたい心境だったのでは」と、いたたまれない気持ちになるそうだ。

「彼はどうなってしまったんでしょうね。俺は明日にでも戦争に行くんだ、お前はなんで平和な世界にいるんだ、というように思っていたのかな。凄い時代でしょう。いまとはまた違う、緊迫したものがあったんです」

この頃、明日さんはほかのアイドルたちとともに、満州へ慰問旅行に行っている。これもまた、軍による施策の一つだ。

失礼だとは思いつつ、「利用されたと感じますか」と聞いてみた。

「いいえ」。明日さんはそうきっぱりと言い、続けた。

「お国のため、兵隊さんのため、滅私奉公でしたよ。日本が勝つんだと、それは喜んでいましたね」

「でもね。終わったあとも、利用されたと思ったことはないんです。目の前にいる方は、兵士さんとかじゃなくって、皆さんファンだから。喜んでくれるかしらって、一生懸命でした」

3/4ページ

最終更新:2017/3/4(土) 15:56
BuzzFeed Japan