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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(20)夢のオールスター戦 21年後、鶴田さんからの電話

スポーツ報知 3/5(日) 15:04配信

◆1979年8月26日、日本武道館で夢のオールスター戦

 公私共に充実していたジュニア時代の藤波辰爾。歴史的な試合にも出場した。79年8月26日、日本武道館で行われた夢のオールスター戦だ。

 東京スポーツが主催し全日本、新日本、国際の3団体が集結した合同興行。メインイベントは、ジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲が約8年ぶりに復活しタイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦した。藤波は、ジャンボ鶴田、ミル・マスカラスと組みマサ斎藤、タイガー戸口、高千穂明久と対戦した。

◆夢のタッグ結成

 当時、25歳の藤波は、アントニオ猪木の後継者とクローズアップされていた。28歳の鶴田も全日本プロレスでジャイアント馬場の次を担う若きエースの看板を背負っていた。次代を担う2人は、かつての馬場と猪木のように比較されていた。2人の対戦をファンは待望したが、マッチメイクは夢のタッグ結成で落ち着いた。試合は、鶴田、マスカラスと3人でドロップキックを披露するなど見せ場を作った。マスカラスがフライングボディプレスを決め斎藤を抑えた。

 「周りからはジャンボとやるのかと期待されたが結局はタッグを組むことになった。いい緊張感で試合をやったことを覚えている」。

◆実現しなかった若きエース対決

 当時は団体間の壁が高かった時代。それまで、鶴田とはほとんど会ったこともなければ会話したこともなかったという。

 「この時も試合前に話はしたけど、お互いに“元気?コンディションは?“とかそんな、たわいものないもの。深い話はしなかった」

 最初で最後となったオールスター戦でのタッグ結成。以後、2人は、ライバル団体の若きエースとして君臨した。藤波は何度かリップサービスの意味も含めマスコミを通じ対戦をアピールしたが、交わることはまったくなかった。

◆99年3月に引退した鶴田さん 米国へ移住

 鶴田は1992年11月にB型肝炎を発症したことを明かし、第一線から退いた。以後、94年には筑波大大学院に合格し非常勤講師として教壇に立った。プロレスは99年3月に正式に引退。米国オレゴン州のポートランド州立大学へ赴任し家族と共に日本を離れ米国へ移住した

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最終更新:3/5(日) 15:04

スポーツ報知

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