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資本が少ない中で生きる彼女たちのしんどさ 沖縄の夜の街で生きる少女たちの記録「裸足で逃げる」著者・上間陽子教授インタビュー(2)

3/5(日) 18:00配信

沖縄タイムス

 沖縄の夜の街で生きる少女たちの4年間をつづった著書「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」(太田出版)が2月、発売された。筆者は琉球大学教育学部研究科の上間陽子教授。2012年から16年にかけて調査した少女たちの過酷(かこく)な記録だ。「調査開始時には、打ちのめされていた」と振り返る上間教授はどんな思いで本書をつづったのか、少女たちの状況はどう変わっていったのか。インタビューした。(デジタル部・與那覇里子)

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 著書には、6人の少女がメーンに描かれている。恋人に暴力を振るわれ、キャバ嬢として働くシングルマザーの優歌。中学2年で集団レイプされ、子どもを育てながらキャバ嬢として働き、中絶手術に向かう亜矢。高校2年で出産し、恋人から暴力から逃げ、看護師専門学校に通う鈴乃らだ。

-生活の基盤や居場所が不安定な中で、ぬくもりを求めて、恋をして人生が変わっていく様子が印象的だった。

 一人でいたほうが楽だろうと思うが、生きていくために、誰かを求めることは当然あるのだと思う。もちろん、それがすぐに幸せにつながるわけではない。そうしたなかでも相手を上手に選べる子はいると思えてきた。ちゃんと相手とコミュニケーションとろうとするとか、ちゃんと話を聞くなかで暴力的なものを回避することを意識的にしているカップルはいる。彼女たちのつきあう男性のなかには、私にも優しいメールをくれたり、毎月の給料日には、彼女にお手紙を書いていたり、そういうことをしている人はいる。言葉を介して相手とつながろうとしているカップルは、安定しているように思う。

-学歴、お金といった資本が少ない中で生きる、彼女たちのしんどさは具体的にはどんな部分か。

 使える制度がない、応援してくれる人が少ないということも当然あるのだが、根っこのところに自分のことを語り、自分の望みを口にできないところが最もしんどいと考えている。

 優歌は、最後まで子どもを産みたいと口にできなかった。でも、妊娠してすぐに、たばこをやめた。今まで冷たい飲み物や食べ物を食べていたのに、温かい和食があるレストランに行きたいと話し、野菜をたくさん食べるようになった。言葉や体を大事にできなかった子が、ちゃんと人の手の入った温かいものを食べようとしていた。

 私は、そういう優歌を見ていて、産みたいんだな、でも産みたいって言えないんだなっていうのが痛いほど分かった。しんどいってそういうことかと思った。

 鈴乃の場合も、看護師になりたいっていうことを、ずっと言っちゃいけない感じがしてたと話していた。自分が看護師になりたいだなんて笑われるんじゃないかと。でも、戻った高校の先生たちが、彼女のことを大事にして、仕事をしながら学校を通うことも応援してくれて、友だちもたくさんできて、自分を助けてくれる人がたくさんいることを知って。その学校を卒業するときに、看護師になりたいって、ようやく口にしてもいいような気がしたと鈴乃は話している。

つまり、育ちがしんどいということは、自分の望みを語り、どう生きたいのかということが実現しづらいという実態よりはるか前に、そもそも、自分の望みを語ることができない、というところに立たされていると理解するべきだと思う。だから、まずは望みを口にできるようになること、そこから支援は考えないといけないと思っている。

-それでも、彼女たちは逃げるため、生きるために働いている。仕事から見える彼女たちの生きる力とは

 彼女たちは働きながら、知恵やネットワークを作っている。

 例えば、キャバクラには、妊娠して働いている子もいる。そういう事情がある女性を、かばいあうチームワークがある。体調悪い子がいるなって思ったら、代わりに飲む技術などを持っている方もいる。

 ただ、チームワークが作れない子は、キャバクラで定着することは難しい。心配なのは、未成年で単独で風俗に入っていた子。危ない状況にあるときにも、人とつながれず、SOSを出しにくい。だから、学校は、子どもたちが友だちをつくったり、群れる練習をちゃんとさせないといけないと思う。

-4年の調査を経て、変わったことは。

 調査を始めた時は、打ちのめされていた。書ける感じがしなかった。呆然としていたし、つらすぎる感じもあった。お話を聞いていた方々の次のステージが見えなくて、この状況がずっと続くのではないかと思っていた。だが4年たって、状況がなんとか終わる手応えがある。

 とはいっても、それは彼女たちが産み落とした子どもにとっての状況がよいということは意味していない。母として得たアイデンティティは、子どもにとってのアイデンティティにはならない。だから制度が必要で、支援は絶対的に足りないと思っている。

 それから、「状況が終わる」というのは、自律的に生活を作れることにある。

 ただ、生活を作るのは難しい。朝起きて、ご飯を作って食べて、お皿を洗って、ゴミを捨てる、仕事をしてお金を得る-ということは、絶え間なく練習しなければならないことだし、その日々を応援して、承認する人がいなくてできることではない。人の生活は、人に、制度に、ケアされないと作れないものだと思っている。

 ―私たちが彼女たちに出会ったら、何ができるのか。

 出会うって、どこで出会うのか?  これだけ人の生活が分離されているなかで、意識的に出向かなければ、出会うことはないと思う。それに「私たち」というほど、私たちは、一枚岩ではない。そのことを踏まえたうえで、それぞれのポジションと生活のなかで考えられることはあるとは思う。

 子どもの生活の場所を安定させることは必須だから、学校は、子どもにとって安心できる場所にならないといけない。学校で子どもが見せる顔はすべてではないが、だからこそ、子どもたちの生活を知らないといけないと思う。

 それに、暴力を受けている子どもたちの逃げ場もつくらないといけない。逃げられそうな場所があっても、携帯を持ってはいけないという決まりがあったりする。でも、携帯を取りあげられる場所に、彼女たちは入りたがらない。幼少期から携帯しかお友だちがいないという子もいる。それを取り上げられる場所にはまず行かない。彼女たちが必要なものと、大人が考える必要なものは違う。子どもの生活を想像して、そこに合わせて必要なことを考えなくてはならないと思う。

 何かやれば、直ちに子どもが変わることということもない。子どもの育ちは何度も行きつ戻りつを繰り返してしか変化しない。沖縄はユイマールがあるから大丈夫だなんて思わずに、話を聞ける場所をひとつでも多く増やしていくこと。そういう場所で働く人が、よりよい環境をつくるために必要な事を考えること。起こった事件や事故にふれながら、他者の生活を想像すること。簡単には変わらない。でも、考え続けること。そこからだ。

最終更新:3/6(月) 0:10
沖縄タイムス