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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(22)長州力の反逆 1982年10月8日、後楽園ホール

スポーツ報知 3/7(火) 15:00配信

◆メインイベント6人タッグ

 1982年10月8日、後楽園ホール。28歳の藤波辰爾は、メインイベントでアントニオ猪木、長州力と組んでアブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、SDジョーンズと対戦した。

 異変はリングアナウンサーがコールした時に起こった。真っ先に呼び上げられた長州がリングアナへ抗議したのだ。タッグマッチのコールの順番は、先に呼ばれる選手は格下となる。格下扱いを受けた長州は、あからさまな不満を表した。

◆「オレはお前のかませ犬じゃない」

 「彼が何を言っているのか分からなかった。何が気に入らないのかも分からなかった」。
 ゴングが鳴ると、長州が先発を拒否。藤波もタッチを無視した。互いに張り手を見舞い、相手そっちのけで乱闘となった。試合が終わっても、激しくぶつかりあった。試合後、長州は「オレはお前のかませ犬じゃない」と叫んだという。

 「試合が進むうちに自分に対する嫌な部分があるんだろうっていうことが少しずつ感じてきた。彼が仕掛けてきたから、こっちも引けなかったし引くつもりもなかった。相手のことなんか考えずにやり合うしかなかった」。

◆まったく聞いていなかった反逆

 試合前、長州が反逆する行動はマッチメイカーだった猪木と坂口征二からまったく聞かされていなかったという。

 「もしかしたら、自分だけが知らなかったかもしれない。猪木さんなのか新間(寿)さんなのか、分からないが恐らく誰かが長州にやれとけしかけたんだと思う。もし、事前に長州が反逆することを知っていたら、あれだけの感情むき出しでやり合うことはできない」

◆接点のなかった藤波と長州

 長州は、アマレスでミュンヘン五輪に出場し74年に専大から鳴り物入りで新日本に入団。ただ、人気は上がらず当時は中堅レスラーの一人だった。一方の藤波はジュニアヘビーで一時代を築きスター街道をひた走った。ただ、中卒でプロレス入りした藤波から見れば長州は入団した時からエリートだった。

 「長州が入ったころは、自分は、新日本を家族のように考えていた。一人でも多くの選手が入って団体が大きくなって欲しいという思いだった。そんな中で五輪に出場した選手が入ったということで“これで新日本がまた大きくなれる”っていう喜びを感じていた。入ってからは、彼は別格だった。一緒に食事に行ったこともなかったし、巡業でもそんなに話をしたこともなかった。ライバルという感覚はまったくなかった」。

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最終更新:3/7(火) 15:00

スポーツ報知

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