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「空手」を世界との懸け橋に “達人”8人が未来へ提言 沖縄空手会館シンポジウム特集

3/7(火) 16:10配信

沖縄タイムス

 沖縄空手会館の開館に合わせ「空手シンポジウム」が4日、同館で行われた。県立博物館・美術館の田名真之館長が基調講演したほか、8人の空手関係者が登壇した。東京五輪の競技種目になる世界的な広がりや、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産への登録の必要性など、競技空手と伝統空手の相互発展を含め、意見交換した。

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 【基調講演】

 田名真之さん(県立博物館・美術館館長)

 【パネルディスカッション】

 司会:宮城篤正さん(元県立芸術大学学長) 

 島袋善保さん(沖縄伝統空手道振興会副会長)

 喜友名朝孝さん(沖縄伝統空手道振興会理事長)

 知念賢祐さん(ワールド王修会会長)

 佐久本嗣男さん(全日本空手道連盟常任理事)

 岩本明義さん(三田空手会相談役)

 和田光二さん(三田空手会理事)

 前田光幸さん(県文化観光スポーツ部長)

■沖縄発祥、世界に拡大

【基調講演】田名真之さん(沖縄県立博物館・美術館館長)

 沖縄発祥の武術である空手は、近世琉球でもいくつかの史料に登場する。当時「唐手(トウディ-)」と呼ばれていたが、近代に入ると、日本の伝統的武術と呼応し発展する。伝統的武術が奨励される潮流に「唐手」も乗ることにより、学校教育にも取り込まれた。

 東京での船越義珍らの普及活動も功を奏し、大学の「倶楽部」を中心に普及していく。その過程で「唐手」が「からて」とされ「空手」へと改称されていく。沖縄の空手は近代日本武術の影響もあり、より精神性を重視する方向へ深化した。

 王国時代の緩やかな「首里手」「那覇手」「泊手」の区別が、固定化して小林流、少林寺流、剛柔流など各流派を成立させていく。明治後半には中国武術を導入した上地流も誕生している。一方、日本では、他の武術同様、空手も空手道として、競技空手、スポーツ空手が主流となっていった。沖縄の伝統空手との乖離(かいり)が始まったともいえる。

 空手は戦前から移民の方々により北米や南米へ、さらに指導者派遣により多くの国々へと広がった。戦後の空手は米兵により母国へもたらされるなど、多くの愛好者を生んでいる。

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最終更新:3/7(火) 16:10
沖縄タイムス