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上司のために仕事しているのか? 6000人規模、憧れの上場企業で働いてみて

3/9(木) 18:30配信

STORYS.JP

子供の頃からサラリーマンを毛嫌いしていた男性は、大人になり自営業をはじめた。しかし、6年ほど自分で商売をする中で、いつしかスーツを着た大企業のビジネスパーソンに憧れるように。

そんなある日、ふとしたご縁で6000人規模の大企業への採用が決まる。胸を躍らせて一歩足をふみ入れた大企業の世界は、建前だらけの奇妙なものだった。

(以下、男性が綴った手記の転載です。読了時間目安: 9分 )

「中卒・元自営業が6000人規模の上場企業で働いてみて思ったこと~顔のない上司~」

- 憧れのビジネスパーソン -

私は中学生の頃、サラリーマンなんかぜってーなりたくねぇとなぜかすでに決心していた。 七三分けでスーツを着て満員電車に揺られながら、毎日同じことの繰り返しをするのが嫌だったという単純なイメージでそう決めていた。

しかし6年ほど自営業として働いているうちに、いつの日かスーツを着た大企業のビジネスパーソンに憧れるようになった。

髪型もスッキリさせ、細身のスーツをビシッときめ、ネクタイピンを光らせ、ネクタイをきつく締めディンプル!

裾幅17センチの気持ち短めのシングル派
iPadで日経デジタルを読みながら満員電車に揺られ株価をチェック!
ピカピカのモンクストラップを履いて丸の内を急ぎ足で歩く。
昼はお財布を持って少し高めのランチ!その後は、屋上でバレーボール!
花金アフター5は丸の内OLと飲み会!たまにガード下で一人でちょい飲み!

そんなビジネスパーソンに憧れていたのだが、31歳にして遂にこれらが全て叶ったのだ!

- 大きな会社には「顔のない上司」がいた -

ご縁があり、私はとある大手会社に採用され憧れのビジネスパーソンになることができた。
6000人規模の大企業、これほど大きな組織に属したことは初めてである。

以前いた業界は比較的若年層が多かったことと、6年ほど個人事業主をしていたので雇われること自体が久しぶりであった。実際に身を置いてみると己がまだまだ社会人・組織人として未熟であり、ひよっ子であったと痛感した。

もちろん柔軟に謙虚に勤労しているつもりであるが、大企業という組織的なものを大変興味深く観察していた。

しかし働き始めて2カ月が経つころ、なにか違和感をおぼえるようになった。

今回、社員になれたのは嘱託社員として採用され、私の提案したプロジェクトを軸に新規事業を立ち上げるという特別採用であった。ものすごく簡単に言えば「マネーの虎」のようなものである。

社内でディスカッションし最終的には役員の決裁をもらい事業化していく。そのために事業プランをブラッシュアップし事業計画書とプレゼン資料をつくっていくのだ。

しかしながら私の提案する事業プランなのだが、いつの日か気づけば会社が求めているプランを立てている気がしてきた。

ディスカッションしていく内にプレゼン資料も上司のために作成しているようなそんな気がしてきた。

こうすればきっと上司は納得するだろう・・・

こうすればきっと役員は喜ぶだろう・・・

きっと社長はこういうのを求めているのだろう・・・

組織というなにか実態のないものに流されていくような。
例えるならば、「顔のない上司」。

その「顔のない上司」のために、自分の大義までも抑えながら事業プランをつくっているようなそんな気がしてきた。

自分が自分ではなくなるような。「顔のない上司」のためにすり合わせてやるなら、私がやらなくてもいいのではないかと。

他の人がやればいいのではないか?これでは誰がやっても同じではないかと思い始めた。

でもおそらくそれが会社の理念だったりとかするのだろう。

社員のほとんどがきちんと理念に基づき、同じ方向を見据えていることには本当にすごいと思った。

だが個々に話をしてみると、それぞれの理念や持論ももちろんあるようにも思う。

しかしこれが組織となると「顔のない上司」が現れる。

そしてこの「顔のない上司」に逆らおうとする気配があまりない。

良く言えば協調性や組織力が高いともいえるが会社は全体主義なのだろうか。

現在のポジションや妻子のために保守的となり、

「顔のない上司」のご機嫌を損ねるようなことはしなくなったりもするのだろうか。

しかしながら新卒採用ならこれはわかる。

採用にあたり会社の思いが双方に合致しているはずであり研修などもある。

なにより自ら面接に来ているわけでもある。おそらく「顔のない上司」は現れないのかもしれない。

私は、当プロジェクトの「目的」は合致してたのだが「手段」までは合致していなかったようだ。

「手段」が違えば私がやる必要がない。

「顔のない上司」もこれでは成功しないと考えているに違いない。

「顔のない上司」が求めている仕事を無難に遂行しながら、

クーラーの効いた快適できれいなオフィスで働き、

このまま己が死んでいくようなそんな気分であった。

「顔のない上司」は一体誰なのであろうか。

- 会社員の本音と建前 -

大きな会社は全体主義なのかとも感じ始めた。

なんだ。別に私がやらなくてもいいんではないか?

個性が強く出るのは居酒屋にいる時だけのような気がしてならない。

会社や上司の指示は絶対であり文句も言わずにそつなくこなす。

右向け右と言われれば、角度は様々だが全体が一斉に右を向く。

うまく立ち回る人もいれば、ノンポリ社員も多くいる。

組織を動かすのは政局に近いような気もしている。

上場企業の社員は、学歴もさることながら基本的には聡明な方が多い。

学生の頃から学習することを怠らず勤勉することを厭わない。

しかし聡明な方でも人間である(笑)

同じ人間なので個別に話すとそれぞれに主義・主張をお持ちである。

時に、愚痴のようなものを吐き出すこともある。

しかしこれが組織となると主張をしない。

もしかしたら最初のほうは意見や主張をぶつけていたのかもしれないが、結局なにも動かすことができないのを知っているのか、言ってしまえば諦めてしまい本音と建前をうまく使い分けている。

そこで経験と役職、さらに家族を持つと年齢とともに保守的になっているようにも思う。

酒を交わしながら本音で語り合ったとしても、

ある日突然、指示が変わる。

そして主張も変わる。

さすが聡明な方なので、そのあたりの建前は本当にお上手だ。

聡明な部下達もそれを感じながらもそつなくこなす。

この本音と建前をうまく使い、無難に成果を上げ続けた者が出世するのだろうか。

私のような異分子はどうも違和感があってしょうがない。

そもそもそういった異分子は、どうやら採用で弾くようである。

稀にいる異分子よりの社員は、自ら会社を去ることも多いようである。

結局残るのは本音と建前をうまく使いこなせる聡明な方達だ。

常に組織にいる得体のしれない「顔のない上司」に気に入られるかのように。

- 御用社員 -

組織というのは適材適所のバランスが大事だと感じている。

ただバランスを固めすぎると大きな組織となると大企業病とでもいうのだろうか、

逆に非効率と感じてしまうことも多い。

自営業の時や、中小企業であればそのあたりのスピード感は強みであったかもしれない。

相談や提案、何かの決定をするとなると、上司からさらにその上の上司、

そして管理職といったような手順を踏まなければならず手間がかかる。

もしも強い主張や意見をする者が間にいたら、より手間がかかってしまうだろう。

そこでさらに効率をよくしたい上司は、自分にとって都合の良いことを言ってくれる部下だけを周りに置くようにもなったりするのだろうか。

たとえ愛社精神があったとしても強い主張や意見をする社員は弾かれるか、自ら去る。

それが派閥や力関係による権力闘争であるのか、結局残ったメンツは、

上司におもねる社員、言ってしまえば御用社員ばかりである。

そんな御用社員なる者達が集まっている上司やチームは中々強敵である。

しかしここに信頼関係があるのかはまた別の話である。

だが御用社員が多ければ、意思決定もスムーズとなりチームとしても良いとも言えてしまう。

この出世競争を勝ち上がるには、御用社員となりつつ本音と建前をうまく使い分けていく他ないのだろうか。

ただ御用社員ばかり増えると、ある意味で組織内で無責任体制ともなってしまう。

現に、大きな組織には責任者がどこにいるかわからない。

だがこのような大企業病ともいえる問題は、聡明な社員たちは認知しているはずなのである。

しかしながらこれを「想定の範囲内」と事実を良い方向へ受け止め、

認知的不協和により問題を解決できないとさえ感じている。

ただこれらは問題化していると考える人が少なければ、問題とすらならないのだろう。

最終的には少数派である者が自ら去るか、

退職者の責任となって終わってしまう悪循環に陥る可能性もある。

扱いやすい御用社員だけを会社は求めているのだろうか。

「顔のない上司」の理念を形にするために。

- 片道切符の島流し -

聡明な社員は、会社員の本音と建前をうまく使いわけながら指示通りに従う。

役職や権力を手にするまでは、あまり我を出さずうまく立ち回る賢い人もいるだろう。

しかし個人的には愛社精神が前提であれば、もう少し本音を出しても良いのではないかと感じている。

身を置く会社は、決定権や人事は親会社が全て掌握しているが、

中央集権による会社統制をはかることは否定はしない。

しかし中央は、現場を知らずして正論だけを唱えてくることが多い。

現場としては中央の指示どおりに動くが、現場の考えと会社の理念に乖離が生じてくることもある。

そして会議をし、皆で決めた意見としてまとめて上司は中央に報告する。

そこには建前だけで本音などないだろう。

愛社精神を前提とした強い意見や主張をしようとする社員が少ないように感じる。

強い意見や主張があったとしても、上司は中央に報告することはないからだろう。

そんな強い意志を持った社員がいたとしたら、どうやらいずれ弾かれてしまう可能性が高いという。

もちろん文句や愚痴だけで対案のない者は弾かれて当然である。

しかしこれが大きな組織となると、なかなか問題を問題化することすらできない。

結局、ただ理念を形にしてくれる、指示どおりに的確に業務遂行するのが優秀な社員ということなのだろうか。そしてここでいう優秀な社員が出世する世界が大企業なのだろうか。

しかしそれぞれの社員や上司に悪い人はいないし、個々に話すと問題と認識もしている。

直属の上司に強い主張をしたが無駄であると感じた。

愛社精神があったとしても強い主張をし続けると、

まだ理念が共有できない社員だとみなされ出世ができないようである。

そして私は出向を命じられた。

片道切符の島流し

それを恐れる社員は、いずれ強い主張をしなくなるのだろうか。

やはり「顔のない上司」がいる。

- 顔のない上司の「正体」 -

大きな会社には顔のない上司がいる!

出向を命じられ、片道切符の島流しから私は退社を決心した。

「顔のない上司」は己自身が作り出したものなのか。

組織という全体主義に近いような「理念」そのものなのか。

「顔のない上司」は一体誰なのであろうか。

ずっと違和感があった。

しかし最後に社長との面談のチャンスを得られた。

入社したての者が大企業の社長とディスカッションできるということは本来であれば異例であり、

チャンスをいただけて大変有難い。そういう意味ではとてもおもしろい会社であった。

私は一度、「顔のない上司」のために事業プランを練り直し、

「顔のない上司」のために事業計画書を作成していた。

そんな計画書では想いは伝わらず、ブレブレであった時期があり大変悩んでいた。

しかし改めて思い返し原点に戻った。

「顔のない上司」を完全に無視し改めて事業プランを立て直した。

建前など捨て、本音だけでいこうと決意した。

もしも今回うまくプレゼンが通れば、新規事業立ち上げができる最後のチャンスであった。

しかしながら事業提案をしていたのだが、

社長から直接ご指摘を受けることや、言わんとすること、それ自体がなんだか予測がついたのだ。

なぜならば「顔のない上司」そのものであった

大きな会社には顔のない上司がいると違和感があったが、

顔のない上司の正体は「創業者」

社長そのものの理念であったのだ。

もしもこれが「創業者」ではない会社であったのなら顔のない上司はいないのかもしれない。

強烈なリーダーが創業した大きな会社。

その強烈な創業者の想いを、社員は常に形にしてきたから、

理念に基づき組織として強固に形成されたのだろう。

これは恐らく外部から来た私にしかみえないかもしれない。

仮にも元経営者の端くれであり、私はすでにオリジナルの理念があるからだ。

私は憧れの会社員になり初めて感じた。

ただ憧れの大企業に入りたいだけでは、「顔のない上司」が現れ、

自分が自分ではなくなるような、クーラーの効いた快適なオフィスでの死を意味する。

もちろん会社の理念も正しいし否定するつもりもない。

会社というのは「理念」が共有できなければ、最高のパフォーマンスはできない。

出向は覆らないので予定通り退職することになったが、

私は憧れの大企業に勤めて様々な経験ができた。

これまで経験できなかったことができ、採用してくれた直属の上司には感謝を伝え、

最後は堅い握手を交わした。しかし上司の手の力は、なんだか少し弱くも感じた。

そして会社をあとにし己の不甲斐なさを痛感し、ほんの少しだけ目頭が熱くなった気がした。

憧れの大企業の会社員は4カ月で終わったが悔いはない。

そして私は八重洲の雑踏に消えた。

「顔のない上司」

あなたの会社にはいますか?

ストーリー紹介 = STORYS.JP編集部 清瀬 史

最終更新:3/9(木) 18:30
STORYS.JP