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三井と三菱の戦いだった北炭株買い占めとその後日談とは? 中上川彦次郎

THE PAGE 3/17(金) 15:40配信 有料

 福沢諭吉の甥の中上川彦次郎(なかかみがわひこじろう)は山陽鉄道の社長だったときに、外相、蔵相などを歴任し、三井物産などの創設に深く関わった井上馨(いのうえかおる)にスカウトされ、三井銀行の改革を任されます。政界向けの無担保で貸し出していた不良債権の処理をはじめ、芝浦製作所や王子製紙などを三井の傘下とし、工業化をはかっていきました。

 中でもすまさじく繰り広げられたライバル会社、三菱との戦いだった北海道炭鉱鉄道(北炭)の買収劇は
その後日談とともに語られています。47歳の若さでこの世を去った中上川の投資家人生とその2年後について市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 


  北炭株の買い占めは、何の目的で行われたのか?

 1899(明治32)年8月、大手株式仲買店の丸上商店(半田庸太郎)が突然、兜町の東京株式取引所で北炭の株を買い始めた。当、中、先の3限月にわたって積極的に買いを入れたため、市場は沸騰し始めた。

 「一体この買い主はだれであろうか。なんの目的で買い占めるのか、揣摩(しま)憶測が盛んに行われてた。1カ月ばかりすると、丸上商店は買入を中止し、期限が来たものから、株を引き取っていくのであった。世間ではまだその買い主が分からず、さまざまな風評が行われた。しかし、丸上商店が当限の受け渡しを済ますと、三井銀行から総長(三井高保)名義に書き換えてもらいたいという請求が北炭に提出された。これで買い主が三井であったことが初めて一般に知れ渡り、三井内部の者まで呆然とし、驚きの目を見張るのみであった」(白柳秀湖著『中上川彦次郎』)

 折から三井内部に頭をもたげかけていた反中上川派は、寄ると触ると中上川のこの行為を非難し始める。銀行業としてやってはならないとされていた株投機に手を出したといった声が上がる。だが、中上川はそうした声を黙殺した。中上川にすれば、北炭株の買い占めは、株の値上がり益を取ろうという目的ではなかったからだ。本文:4,395文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:3/18(土) 5:32

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