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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(28)前田日明との激闘 1986年6月12日、大阪城ホール

スポーツ報知 3/13(月) 15:00配信

◆触りたくなかった前田

 1986年6月12日。32歳の藤波辰爾は、大阪城ホールで前田日明との一騎打ちに臨んだ。

 「前田とは嫌だった。自分だけでなく、あの当時はみんな選手が前田に触りたくなかった」

◆活動停止したUWF

 前田はUWFのエースだった。UWFは84年4月に旗揚げしたが、その経緯は複雑だった。前年の83年に新日本を退社に追い込まれた営業本部長だった新間寿がテレビ局を抱き込んで設立を目指していた新団体がUWFだった。アントニオ猪木も参加する予定で自らが合流する前に先兵部隊として前田、ラッシャー木村らを送り込んでいた。しかし、猪木は土壇場でUWFへの参加を翻し新日本に残留した。

 それでも前田はUWFにとどまった。途中から元タイガーマスクの佐山聡がスーパータイガーとして参戦し従来のプロレスとは一線を画しロープワークは使わず関節技とキックを主体としたスタイルを打ち出していた。ただ、興行は苦戦し団体は1年半あまりで事実上、活動を停止した。そこへ長州力ら大量離脱後も低迷が続いていた新日本が人気回復を目指しUWFと提携し、この年からUWF軍団として参戦していた。ただ、藤波は、UWFのスタイルに温度差を感じていた。

◆溶け合わない新日本とUWF

 「UWFは色んないきさつがあって団体を興して、自分たちのスタイルを作った。だけど、運営上、無理で新日本がUWFを事実上、吸収合併した。でも、リング上では彼らも意地がある。だから、ファンに吸収合併されたと捉えられたくなくて自分たちのやりたいことはリング上で貫くぞって来ていた」

 長州力との戦いのようにお互いが持っている技を真っ正面から出し切り受け止めるプロレスが理想のスタイルだった。そこにはリングでの信頼関係が不可欠。それは、新日本プロレスの形でもあった。

◆IWGPチャンピオンシリーズ

 「本来、プロレスは、お互いに通じ合うものがある。しかし、UWFの彼らは、従来のプロレスを壊そうと来ているわけだからだから、すり合うことがなかった。始めからスタンスが違う。今の総合格闘技のはしりみたいに関節技、打撃技を思うがままにやってくる。そのスタイルを曲げなかったから当時の新日本の中では誰も触りたくなかった。プロレスが合わない。彼らが参戦してから試合がかみ合わない状況がずっと続いていた」

 迎えた5月。毎年、恒例のリーグ戦でチャンピオンを決めるIWGPチャンピオンシリーズが始まった。シリーズ前のマッチメイク会議は紛糾したという。

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最終更新:3/14(火) 10:17

スポーツ報知

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