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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(30)両国大暴動…屈辱のタッグマッチ 1987年12月27日

スポーツ報知 3/15(水) 15:00配信

◆猪木と長州の一騎打ち

 UWFの前田日明が長州力の顔面を蹴った1987年暮れ。33歳の藤波辰爾は、屈辱の試合を強いられる。

 12月27日、両国国技館。「イヤー・エンド・イン国技館」と銘打たれた特別興行で木村健吾と組んで、ビッグバン・ベイダー、マサ斎藤組と戦う予定だった。メインイベントは、アントニオ猪木と長州力の一騎打ちだった。85年1月から全日本プロレスに参戦していた長州。87年5月に新日本へ復帰後、初の猪木とのシングルマッチとあって館内は超満員札止めでファンの期待はふくらんでいた。

◆深刻な人気低迷期だった新日本

 一方で新日本プロレスの低迷は深刻だった。長州らが復帰しても興行は上昇カーブを描くことはなかった。従来の軍団抗争から猪木と藤波、長州らが対抗する世代抗争に新たな基軸を求めたが10月に猪木がマサ斎藤と巌流島で戦う独自色を出し、いつの間にか世代抗争は消えてしまった。

 そして、長州を蹴った前田を出場停止にしたことでファンの反発を買った。逆に前田は「格闘王」としてカリスマになろうとしていた。テレビ視聴率も低迷していた。73年から続いていた金曜8時の中継が86年9月で終了し月曜8時に移動していた。一時は「ギブUPまで待てない!」との副題を付けバラエティ色を取り入れた火曜8時に移った時もあった。ただ、このゴールデンタイム中継も常に打ち切りの危機に立たされていた。新たなテコ入れ策が必要な時期がちょうどこの頃だった。

◆たけしプロレス軍団

 そこに、タレントのビートたけしが東京スポーツと自身のラジオ番組「オールナイトニッポン」でプロレス界進出のキャンペーンを展開し「たけしプロレス軍団(TPG)」を結成。新日本もこの企画に乗った。TPGが送り込んだ猪木への刺客という触れ込みで初来日したレスラーがベイダーだった。もともとは、アメリカンフットボールでスーパーボウルにも出場したアスリート。ひざのケガで引退に追い込まれ、プロレスラーに転身して間もないころに米国でマサ斎藤にスカウトされ新日本への参戦が決まった。

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最終更新:3/16(木) 0:31

スポーツ報知

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