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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(31)飛龍革命 1988年4月22日、沖縄・奥武山体育館

スポーツ報知 3/16(木) 15:01配信

◆ゴールデンタイム打ち切り

 1987年12月27日、両国国技館で暴動が起きたビッグバン・ベイダーの初登場。年が明けた88年からベイダーは、新日本プロレスの外国人エースとなった。

 ただ、迎え撃つのは、これまでと変わらずアントニオ猪木だった。この年の3月いっぱいでテレビ朝日の中継もゴールデンタイムでの放送が打ち切られ、土曜の夕方からの放送となった。放映権料は減り団体の利益は悪化した。こうした危機に立たされても「エースは猪木」だった。この変わらない図式に34歳の藤波辰爾は、やり場のない鬱憤(うっぷん)がたまっていた。

◆試合後の控室

 迎えた4月22日、沖縄・那覇市の奥武山体育館。藤波の積もりに積もっていた思いが爆発した。猪木と組んでベイダー、マサ斎藤組との試合後の控室。猪木は、このシリーズの終盤戦の大阪と有明でベイダーとシングル2連戦を組んでいた。いつまでもメインイベンターの座を譲らない師匠へ怒りをぶつけた。

◆猪木への反旗

 藤波「2連戦は無理ですよ。もう何年続くんですか。何年これが」
 猪木「だったら破れよ。何で俺にやらすんだ」
 藤波「だったら、やりますよ、俺が」
 猪木「遠慮することはないって。リング上は闘いなんだからよ。先輩も後輩もない。遠慮されたら困る。何で遠慮するんだ」
 藤波「これは新日本プロレスの流れじゃないですか」
 猪木「じゃ、力でやれ、力で」
 藤波「やります」
 猪木「やれるのか、おい」

◆前髪をハサミで切る

 猪木が張り手を浴びせた。間髪いれずに張り手を返した藤波。次の瞬間、藤波は救急箱からハサミを取り出し涙を浮かべ前髪を切り始めた。

 藤波「やりますよ。やりますよ」
 猪木「待て待て」
 藤波「いらないですよ。こんなもの。こんなんなってもお客さんを呼びますから。オレ負けても平気ですよ。負けても本望ですよ」
 猪木「やれや、そんなら」
 藤波「やります。手出さないで下さいよ」
 猪木「オッケイ。オレは何ももう言わんぞ」

◆今、明かす真相

 藤波が初めて面と向かって師匠に反旗を翻した。飛龍革命だった。

 「あの時はたまったものが爆発した。“もういいや”ってカーッとなった。猪木さんもハイセルとか個人的な問題を抱えながらシリーズに参加しないといけない大変な時期だった。それでも会社の営業としては、猪木さんは外せないから、ベイダーを猪木さんの好敵手として作っていこうと、猪木さんは常にベイダーを相手にしないといけなかった。それは、どう見ても猪木さんの負担になっていた。反対に長州と自分の戦いは、両国で水を差されて看板にならなくなっていた。そういう状況で自分のイライラ感が積もっていった。今、思えば猪木さんの負担を少なくしようと思うんだったら、猪木さんに牙をむく必要はなかったかもしれない。でも、一番、華のある人に食いついていけば一番、分かりやすいし、周りが騒ぐ。そこは自分の中で培われたレスラーとしての嗅覚だった。マッチメイクは坂口(征二)さんだったが、坂口さんにかみついたところで事務的に処理されて事が大きくならない。もちろん、かみつくことは猪木さんに事前に話をしていないし、自分の衝動的な行動だった。今にして思えば猪木さんからしてみれば、いい迷惑だったのかもしれない」

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最終更新:3/16(木) 15:01

スポーツ報知

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