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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(32)伝説の師弟対決 1988年8月8日、横浜文化体育館

スポーツ報知 3/17(金) 15:00配信

◆飛龍革命から4か月後

 沖縄の飛龍革命から4か月。1988年8月8日、横浜文化体育館で藤波辰爾は、アントニオ猪木との一騎打ちに挑んだ。

 「あの試合は自分にとってこれは宝。今まで猪木さんの中に飛び込んで行けなかった。それが、やっと猪木さんに自分らしさをぶつけられた試合だった」

◆7度目の師弟一騎打ち

 猪木とは、85年12月12日、宮城県スポーツセンターで行われたIWGPタッグリーグ戦の優勝戦でドラゴンスープレックスでフォール勝ちしたことはあったが、シングルマッチでは6度、戦いすべて敗れていた。この試合は、藤波が持つIWGPヘビー級王座に挑戦者決定戦を勝ち抜いた猪木が挑戦するという展開でマッチメイクされた。背景には、中継するテレビ朝日がゴールデンタイムの特別番組での中継を用意していたことがあった。

◆ゴールデンタイムで特番

 「新日本からすれば放映権料も入ってくるから特番は欲しい。だけど、特番やるだけの目玉になるカードがない。これまでもそうだったんだけど、猪木さんと自分がやらなきゃいけない時は新日本が危機的な状況に立った時だった。言ってみれば困った時の猪木・藤波戦。この時もそうだった」

 前回の対戦となった85年9月19日の東京体育館での一騎打ちも長州力らの大量離脱で観客を動員できるカードがなくなった末の師弟対決だった。ただ、弟子である自分に挑戦する図式を猪木は拒否すると考えていたという。

◆試合を受けた猪木

 「猪木さんは、このカードを絶対に飲まないと思っていた。坂口(征二)さんとか何人かと会社で話をした時も“試合を組んでもオレとやることを猪木さんは受けないと思います”と話した。ましてや選手権試合で自分がベルトを持っているわけだから、そんな中で“猪木さんが上がってくるわけないよ”と言った。それを、猪木さんは受けてくれた。実際に引退(98年4月)したのは、まだ先だけど、もしかしたら、この時、実質的に自分が動ける最後の試合だと思ったのかもしれない。そこに照準を絞ったのかもしれない」

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最終更新:3/17(金) 18:06

スポーツ報知

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