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映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』が映し出す、イギリス社会のシビアな現実

3/17(金) 17:00配信

dmenu映画

反骨、気骨、根性骨。イギリス人監督のケン・ローチを想うとき、まっさきに頭に浮かぶのは、そんな“骨のある”言葉だ。80歳となった現在も、肉体的にも精神的にも贅肉とは無縁。昨年5月、本作『わたしは、ダニエル・ブレイク』がカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を受賞した際も、タキシードが少し大きく見えたものだ。

デビューから一貫して変わらぬ、弱者への優しい目線

1967年、長編『夜空に星のあるように』で映画監督デビューをはたした彼は、その後は一貫して、権威や権力、富裕層の慢心に対して鋭い批判精神を込めた作品を撮ってきた。ただ批判するだけじゃない。「セーフティーネット」という言葉が一般化するはるか以前から、国や行政の救援を受けられず弱者のポジションへ滑り落ちてしまった人々の日常を温かく、ユーモアも忘れずに、優しい目線で描き続けてきた。

何より素晴らしいのは、それが演技であることを観客に忘れさせるほど生々しくリアルな肉声を、俳優たちから引き出す手腕だろう。「まるで現実を覗き見しているよう」とは、ローチ作品について回る褒め言葉だが、本作でもそれは変わらない。主人公のダニエル・ブレイクを演じるのは、これが映画初主演となる英国人コメディアンのデイヴ・ジョーンズ。まるで物語の舞台となるニューカッスルでずっと実直な人生を営んできたかのような存在感を、この作品に刻み込んでいる。

実直に生きてきた59歳に立ちはだかる、デジタルの壁

ローチ監督が今回テーマに選んだのは、イギリス政府の緊縮財政政策を受けて民間に業務委託され、徹底的に無駄を省きオンライン化された福祉システムの実情だ。主人公のダニエルは59歳。腕のいい大工として働いてきたが、心臓発作を起こして医師から仕事を止められている。国からの雇用支援手当を継続しようとするものの、審査担当者はまともに話そうともせず、型通りの質問を繰り返すばかり。数日後、ダニエルは「就労可能、手当は中止」という紙切れ1枚の通知書を受け取る。

憤慨した彼は再認定の申請をしようと窓口に電話をかけるが、音声ガイダンスとBGMが流れるばかり。担当者にはなかなか繋がらない。やむなく職業安定所を訪れ求職者手当の申請をしようとするも、作業はすべてパソコン入力。電子機器と無縁の生活を送ってきたダニエルには、名前の入力すら容易ではない。

その職業安定所でダニエルは、面談に遅刻したことで給付金の減額を言い渡され、激しく抗議するケイティという女性と出会う。2人の子どもを抱えたシングルマザーで、つい先日ニューカッスルに移ってきたばかり。困り果てるケイティに、ダニエルは手を差し伸べ、2人はお互いに支えあうようになる。だが、それだけでは立ちゆかない現実の厳しさを、ローチ監督は淡々と、しかし確かな視線で描き出していく。

たとえば劇中、食材に困ったケイティが、ダニエルとフードバンク(まだ食べられるのに廃棄処分になりかけた商品を、必要としている施設や人に届ける社会活動)を訪れる描写がある。「何が必要?」と優しく話しかける係員の前で、空腹に耐えかねていたケイティは反射的に缶詰を開け、思わず食べだしてしまう。羞恥と涙にまみれ、謝り続けながらも食べることをやめられないケイティの苦渋の表情はインパクト大で、映画が終わった後もその表情が何度も浮かんでくるほどだ(演じているのはオーディションで選ばれたヘイリー・スクワイアーズ)。

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最終更新:3/17(金) 17:00
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