ここから本文です

保育事故で亡くした息子と向き合うため、写真家になった母親 短い人生のすべてをアルバムにおさめた

3/18(土) 6:30配信

BuzzFeed Japan

最愛の息子を保育事故で亡くした、ひとりの母親がいる。その事実を認めることができず、数年間にわたって苦しみ続けた彼女。新しい人生を歩もうと、カメラを手に取った。遺品を撮影することを通じて、息子の死と、向き会うために。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

榎本八千代さん(49)のひとり息子、侑人くん(当時4)が埼玉県の上尾保育所で亡くなったのは、2005年8月10日のことだった。

園内で遊んでいるうちに、行方が分からなくなった侑人くん。ちいさな本棚に隠れたことに気づいた人はいなかった。

ぐったりとした状態で見つかったのは、1時間ほど経ってから。熱中症で病院に救急搬送されたが、ちいさな体は、耐えきることができなかった。

「何が起きたかまったく、わかりませんでした」。BuzzFeed Newsの取材に応じた榎本さんは、当時をそう振り返る。

保育士たちが目を離している間に起きた、事故。榎本さん夫妻は民事裁判を起こして真相を明らかにしようとしたが、「なぜ侑人が死んだのか」という疑問の答えは見つからないまま、裁判は終わった。

外に出られなかった数年間

長年の不妊治療の結果、ようやく授かった最愛の息子。その死を簡単に受け止めることは、できなかった。

「それから3~4年間、ほとんど家にいました。子どもを亡くし、何もすることがない。何をしていいかわからなかったんです」

心療内科へ通院し、抗不安薬や睡眠剤の処方を受けた。食事は生協の宅配で済ませ、テレビをずっと見ていた。それも、子どもたちが映る地上波ではなくCNNのニュースを。

高度不妊治療に挑戦したが、うまくいかなかった。何も手につかない時間がただ流れるだけの毎日が続いた。

まったく違う人生を歩みたい

榎本さんがようやく社会と関われるようになったのは、2013年ごろ。7回忌を終えて、「このままじゃいけない、外に出ないといけない」と、模索を始めた。

「最初は保育事故の啓発活動に一生懸命になってみよう、とも思ったんです。喪失経験がある人のボランティアとかも。でも、それはけっきょく嫌だなと」

「本当は私には普通の生活があったはず。自分がずっと被害者でいるのも嫌だったし、侑人に保育事故の象徴にもなってもらいたくなかったんです。あの子はそのために、死んだわけではない」

まったく違う人生を歩んでみたい。そうでもしないと平常な気持ちでいられないから。

そう感じた榎本さんは、高校時代に美大を志した時期があったことを思い出して、大学への入学を志す。

「子どもがいたらできなかったことをやろうと思ったのかもしれません」

1/3ページ

最終更新:3/18(土) 7:34
BuzzFeed Japan