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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(34)過酷なヘルニアとの戦い…眠ることもできなかった日々

スポーツ報知 3/19(日) 15:00配信

◆飛び出ていた髄核

 椎間板ヘルニアと診断された35歳の藤波辰爾。89年7月4日の青森・五所川原市体育館での試合を最後に長期欠場に入った。

 椎間板ヘルニアは、椎間板の中にある髄核が飛び出して神経を圧迫するケガ。病院でレントゲンとMRI検査を受け、画像を見ると驚いた。

 「写真を見たら素人でも分かるほど、腰椎の4番目か5番目か髄核が完全に飛び出て神経が曲がっていた。髄核の飛び出ている量も半端なかった」

◆手術は拒否

 医師からは手術も勧められた。

 「髄核が当たっているから“処置しなくてはいけません”って言われたけど、手術だけはしたくなかった。腰にメスを入れれば、現役続行は無理だろうと思った。手術しない方法でリングにカムバックできないかと考えた」

◆全国各地で治療

 いい治療法があると聞けば全国どこへでも飛んだ。

 「鹿児島、大分、福岡、広島、大阪…。治療も針、整体、遠隔療法、気功…ありとあらゆるものをやった」

◆保存療法へ切り替える

 ただ、回復には結びつかなかった。

 「それぞれ、みなさんすごい熱意を込めて治療していただいた。でも、今から思うのは、ヘルニアの痛みが出た時は、力を入れて熱心にやってもらえばもらうほど傷口が広がってしまっていた。それは素人の考えで逆効果だった。切り傷の傷口を叩いているようなもので血が止まるわけがない。刺激を与えれば髄核が引っ込むどころかもっと炎症を起こしてしまっていた。そのことが何か月かいろんな治療をしていて自分で分かってきた。“かえって何もしない方がいいのか”と思って、治療するなら、局部を引っ張らないとかねじらないとか、遠隔療法といって爪先を刺激するとか触らないことが一番だと思った。病院に行って医師に“炎症を起こして治療しているんだけど”と相談すると“それは、やめた方がいい”と言われた。自分が考えていることと、医師が言うことが同じだったから治療をやめることにした」

◆藤波家の地獄

 何もしない保存療法に切り替えたのは、欠場から半年後だった。

 「この頃が最悪だった。家からも出られない。腰に水がたまって水枕を背負っているみたいでやわらかい。医師からは炎症が引くまで水は抜かない方がいいと言われた。その時は、あおむけにも寝られない、うつぶせにも寝られない、横向けにも寝られない状態で態勢が動かせなかった。楽な姿勢がなかった。これはきつかった。女房はずっと家にいて自分に付きっきりだった。まさに藤波家の地獄だった」

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最終更新:3/19(日) 15:56

スポーツ報知

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