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【藤波辰爾45周年ヒストリー】(35)453日ぶりの復帰 奮い立たされた長州力からの激励

スポーツ報知 3/20(月) 15:02配信

◆控室に医師が待機していた復帰戦

 椎間板ヘルニアで地獄を見た藤波辰爾にとって453日ぶりの復帰戦。医師からのストップを振り切り1990年9月30日、横浜アリーナで越中詩郎と5分1本勝負のエキシビションマッチに挑んだ。リングに上がる2日前、病院で腰のレントゲンを撮った。

 「手術して処置していないからヘルニアは引っ込んでいなかった。多少、炎症が引いているぐらいだった。復帰した横浜アリーナの控室には、何が起こっても対応できるように病院の先生が待機していた」

◆治っていなかったヘルニア

 痛みが爆発する危険を伴った5分間の復帰戦だった。この日の興行はアントニオ猪木のレスラー生活30周年を記念する大会だった。師匠の記念日でのリング。さらに超満員のファンからのドラゴンコールに胸が熱くなった。

 「ヘルニアは治っていなかったけど、リングに上がって自分としては“いいところに戻ってきた”と感じた。それと、何より支えてくれた女房がほっとしていたと思う」

◆試合前には座薬

 横浜アリーナから1か月後の10月25日、群馬・前橋グリーンドームで本格的な復帰戦を行った。試合は、越中と組んで宿命のライバル、長州力とアニマル浜口と戦った。この試合を機に試合数を増やし年末のシリーズはフル参戦した。

 「ヘルニアを抱えているわけだから、復帰してからは、ずっとリングに上がる時は痛み止めの座薬を使っていた。痛みは完全に取れないけど、座薬は一番、早く効くしある程度の動きができるようになる。本来は、あまりやっちゃいけないことだったかもしれない。ただ、使った量はすごいだろうね」

◆胆石も抱えていた

 ヘルニアを治したのは脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術を行った2年前の2015年9月。89年7月の長期欠場からこの時まで26年間もヘルニアを抱えながら座薬で痛みを抑えて試合を行っていたのだ。「プロレスが好き」という情熱の賜物だろう。一方で当時は、ヘルニアだけではなく胆石も抱えていた。

 「手術をすれば、良かったかもしれないけど、あのころは、とにかくメスを入れることにこだわっていた。当時は開腹するしか手術の方法はなかったから、おなかを切って後が残ってしまうのを避けたかった。ただ、痛みはきつかった。前触れがあって“あぁこれは胆石の痛みだな”と分かる。試合でも痛みが来るなと分かる。発作が来ると体が硬直して動けなくなる。巡業先でも発作が来ると会場に最寄りの病院へ行って痛み止めを打ってもらった。今となってはバカなことをしたなと思うけど、その時はそれが最善だと思っていた」

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最終更新:3/20(月) 15:02

スポーツ報知