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『水戸黄門』の復活が、あまりよろしくない理由

ITmedia ビジネスオンライン 3/21(火) 8:07配信

 先日、TBSが同局で42年続いているドラマ『水戸黄門』を6年ぶりに復活すると発表した。6代目となるご老公は、武田鉄矢さんで、2017年10月からBS-TBSで放送するのだという。

【次の『水戸黄門』は土下座なしで】

 今回、ご老公たちが旅する舞台は東北ということで、被災地の伝統芸能や工芸品、郷土料理も積極的に取り上げるらしい。そういう意味では、復興支援的な側面もあるというのは喜ばしいことだと思う。ただ、その一方で、これまでのようなノリの『水戸黄門』が延々と続いていくのはまずいと思っている。

 日本社会にまん延する「謝罪至上主義」ともいうべき病が悪化してしまうかもしれないからだ。は? なにワケのわかんないこと言ってんのと思う人も多いだろうが、「謝罪」と『水戸黄門』との関係の深さを知ってもらうためには、日本特有の謝罪文化を理解していただく必要がある。

 この国に世界的にかなり珍しい独特の謝罪文化があることは、いまさら説明の必要はないだろう。なにかやらかした企業の経営陣は、必ずといっていいほどカメラの前でズラリと並んで頭を下げることを求められる。最近では、芸能人も不倫や事故を起こすと、スーツ姿やベッキーのように清楚な装いで深々と頭を下げなくては、世間から糾弾される。

 社会のいたるところでも、「謝罪」が氾濫している。コンビニで迷惑行為を注意された客が逆ギレして店長を土下座させたことなど典型だが、SNSでも現実社会でもなにかとつけて「謝罪しろ」と迫ってくる人が増えている。「謝罪」は日本人がかかっている重い病のひとつなのだ。

 なんてことを言うと、森友学園的な方たちから「それは日本人が世界一礼儀を重んじる奥ゆかしい国民だからだ」だとか、「武士の切腹にも通じる男らしい責任感のあらわれだ」という主張がバンバン飛んできそうなので、お伝えするのも心苦しいのだが、現在のようになにかとつけて頭をペコペコ下げる文化は日本固有のものではない。

●土下座の大衆エンタメ化

 現在のように、おじきの角度は45度、テレビカメラに撮らせるために10秒は頭を下げていましょう、という謝罪会見の「作法」が確立されたのは、2000年の雪印集団食中毒事件や、三菱自動車のリコール隠しのあたりである。もちろん、それまでも不祥事を起こした企業が詫びることはたくさんあったが、現代のように「頭を下げなきゃ人間失格」みたいなところまで先鋭化したのは比較的、最近の話なのだ。

 いや、昔の日本人はみんな清い心をもっていたからなにか悪いことをしたら、地べたに頭をこすりつけて土下座をしたもんだ、という日本会議的なお考えの方たちも多いかもしれないが、これも勘違いで、『誰も調べなかった日本文化史』(パオロ・マッツァリーノ著、ちくま文庫)によると、土下座はもともと身分の高い人が通る際に地べたにひざまずいて拝礼して「畏敬の念」を表す作法で、謝罪の意味はなかったという。

 確かに、魏志倭人伝にも、「あるいは蹲(うずくま)り、あるいは跪き、両手地により恭敬をなす」という邪馬台国の習慣が紹介されている。また、幕末の志士たちに影響を与えた尊皇思想家・高山彦九郎も、京都・三条大橋の東側で土下座している姿が銅像になっているが、これも誰かに謝っているわけではなく、御所へ向かった「拝礼」だといわれている。

 では、そもそも高貴の人への畏敬の念を示す所作だった土下座が、なぜコンビニ店長がモンスタークレーマーから迫られるような「降伏のポーズ」へと意味が変わってしまったのか。先のパオロ・マッツァリーノ氏は「時代劇」の影響ではないかと以下のように推察している。

 『現在のような「謝罪」や「懇願」を目的とした土下座が庶民に広まったのは、大正時代の後期以降。「大菩薩峠」などの人気時代小説で、圧政に苦しむ江戸庶民が土下座するシーンが頻繁に登場したことの、影響があった』(2015年4月21日 東京読売新聞)

 個人的には、これは正しい解釈だと思っている。「土下座シーン」が大衆のエンタメとして広く紹介されていくうちに、「拝礼」という伝統的な側面がどこかへすっ飛んでしまったのだ。ただ、いくら当時の時代小説の人気がすさまじかったからとはいえ、邪馬台国の時代から1800年間続いてきた価値観が短期間に崩壊するとは思えない。

 平成の日本人が、怒りにワナワナと震えながら大和田常務に「土下座しろぉぉ!」とキレる半沢直樹の姿にカタルシスを感じたことからも、昭和から平成にかけて時代小説のようにエンタメ化した「土下座シーン」を繰り返し繰り返し「国民」に見せつけた「何か」があったのではないか。

●土下座劇を繰り返し見せつけられている

 そこまで言うと、もう筆者がなにを言いたいのか分かっていただけるだろう。この条件に最もしっくりくるのが、『水戸黄門』なのだ。

 ご存じのように、この時代劇の最大の見せ場は、「この紋所が目に入らぬか、控えおろう」の決め台詞(せりふ)で、悪人どもが平伏すシーンだ。まれに、光圀公(みつくにこう)だと分かってからも「もはやこれまで、お命頂戴」と反撃にでる者もいるが、「必殺仕事人」のように、悪代官たちをブスリとやったり、三味線の弦で首吊りをさせたり「私刑」を行わない、というのがご老公のポリシーだ。「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、悪人は非を認めて膝をついて許しを乞(こ)うのがフォーマットになっている。

 実はこの土下座劇を、我々日本人は昭和の頭から気が遠くなるほど繰り返し繰り返し見せつけられている。

 というのも、テレビドラマの『水戸黄門』はTBSのナショナル劇場では42年続いているが、ブラザーの提供時代や、日本テレビ、NHK、フジテレビという他局で制作されたものを加えると60年前から放映されている。これはNHKがテレビ放送を開始した1953年の翌年にあたる。つまり、日本のテレビの歴史というのは、そのままドラマ『水戸黄門』の歴史でもあるのだ。

 さらにもっと言ってしまうと、実は明治時代になって日本で映画がつくられるようになってから、戦後のGHQ統治の一時期を除いて、『水戸黄門』は繰り返し繰り返し映画化されているのだ。その数はざっと70を超える。

 いまのような印籠スタイルが定番になったのは、TBSの42年間らしいが、正体を隠したご老公が悪人を「へへっー」とひれ伏させるのはこの100年間変わらない。

 つまり、我々日本人が土下座の本来の意味を忘れて、「土下座=悪人が非を認めた時にとる姿」ということが日本古来の文化だと勘違いしているのは、『水戸黄門』が100年にわたって、我々庶民に「スカッとした土下座」を提示し続けたことが大きいのだ。

●『水戸黄門』によって、私たちはおかしな方向に!?

 これは冷静に考えると、非常に恐ろしいことではないか。

 この連載でも何度か触れているが、テレビと映画というのは、そもそも第二次大戦中、時の権力者たちが効率的に大衆を煽動するための「兵器」としてつくられたものである。ナチスが映画、米国がテレビを利用したプロパガンダによって、世論を誘導して戦争へと突き進んだのは、歴史を振り返れば疑いようがない。

 そういうテレビと映画の「負の側面」を考えれば、この国の映画とテレビの歴史に常に寄り添ってきた『水戸黄門』が、日本人の思考やモラルに大きな影響を与えていてもなんら不思議ではない。

 『水戸黄門』なんかに影響を受けた覚えはない、という人も多いかもしれないが、プロパガンダというのはそういうものだ。トランプ旋風など典型的だが、最初はただ単におもしろがって注目していただけなのに、気が付けばそれが社会主流になっている。事実、ドラマを見たことがなくても『水戸黄門』がなにかということは、ほとんどの日本人が知っているではないか。

 なぜ我々は、普段は温厚な銀行員がブチ切れて上司を土下座させるのをみてスカッとするのか。なぜクレーマーは、目の前にいる人間に執拗(しつよう)に土下座をさせ、なおかつそれをSNSで見せびらかすのか。そして、なぜ企業も芸能人も「儀式」のような謝罪会見を繰り返すのか。

 もし我々が100年におよぶ強烈な洗脳を受けていたとすれば、すべて辻褄(つじつま)が合う。

 そんな「謝罪至上主義」の生みの親である『水戸黄門』が復活する。BSということで、それほど社会への影響はないのかもしれないが、これまでの100年の積み重ねがあることを考えると、これが発端となり、日本の「謝罪至上主義」が強くならないとも限らない。

●次の『水戸黄門』は土下座なしで

 そこで提案だが、今度の『水戸黄門』は「土下座なし」でどうだろう。

 見方によっては、印籠を出して「へへっー」というのは、権威主義の極みというか、超強烈なパワハラドラマと言えなくもなくい。モンスタークレーマーたちに店員たちが土下座強要させられるいまの時代、BPO的なリスクもないとは断言できない。

 幸いにも、武田鉄矢さんは「金八先生」のイメージが強くて、権威で人をひれ伏させるよりも、懇々と「理」を説き、間違っていることを教え諭す姿のほうが視聴者的にしっくりくる。ならば、悪人に「人の道」を説いてまわる黄門様の説教旅のほうが良くないか。

 「土下座強要旅」が実はもはや時代にマッチしない、ことはTBSもよく分かっているはずだ。

 2016年2月、『水曜日のダウンタウン』(TBS)で「水戸なら今でも印籠効果あるんじゃないか説」として、水戸駅周辺のマナーの悪い若者を黄門様が注意して平伏すかと検証したところ、「じじい、やんのかコノヤロー」などと逆ギレした若者たちから黄門様たちが謝罪させられたのだ。

 ところが、これは水戸市が「虚偽」があるとしてBPOに意見書を提出している。若者がエキストラだということを伝えず、いたずらに水戸のイメージがおとしめられているというのだ。

 その後、TBSの武田信二社長は定例会見で謝罪。「土下座」をネタにしたら「謝罪」に追い込まれたという笑うに笑えぬ事態となった。

 こういう苦い経験もあるわけですから、「土下座」のエンタメ化は『半沢直樹』で打ち止めにしませんか。ねえ、TBSさん。

(窪田順生)

最終更新:3/21(火) 9:51

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