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初代ロードスターのハンドル設計も担当、部品メーカーの新社長は会社を立て直せるか

ニュースイッチ 3/21(火) 9:48配信

ユーシンの岡部氏。「長くかかるかもしれないが、地道に活動して復活させたい」

 「地元での就職を望んで、入社した」とエピソードを話すのはユーシン社長で、広島県出身の岡部哉慧(かなえ)氏。同社は広島県呉市に生産拠点を持つ。

 呉市の工場が分社化されていた時代、トップも務めた。「初代ロードスターのハンドル設計を担当した」など地元の自動車メーカー、マツダ向けを中心に自動車部品を多く納めた。

 今、自宅は広島にあるが、本社は東京。従来ほど広島に密着した生活はできないが、「(マツダの)新型ロードスターRFを購入した」と、地元への貢献を忘れていない。

 今年1月、約40年続いた田邊耕二前社長から突然のバトンタッチを受けた。田辺氏は、40年近くにわたってトップに君臨。外部からの社長公募や高額報酬などで話題を呼んだが、報酬では株主代表訴訟を起こされたり、買収した事業が思うように利益を生まなかったりと波紋も呼んだ。

 「2011年から社長を補佐する役目を果たしてきた。だが、いざ社長に就任すると責任も決断力もこれまで以上に求められる。ここからが本番だ」と岡部氏。

 3年半前、仏ヴァレオからキーシステム事業などを買収した。その事業の基盤強化が急務という。

 「買収で企業規模が一気に大きくなり、異なる企業文化を放置させたままになっている。しかも、ユーシンのモノづくりに対する考え方、文化も隅々にまで行き渡らなくなり、業績に暗い影を落としてしまった」と分析。

 ただ買収した部門との体質強化には、子会社の経営を務めた経験が生きると自身では見ている。

 「10年近く経営を務めたユーシン・ショウワ(大阪府茨木市)は、経営不振に陥った住宅用鍵メーカーを買収して生まれた。ご迷惑をかけたお客さまへの説明や異なる企業文化の融合を通じて立て直し、何とかグループの収益の柱にできた。この経験を生かす」と岡部氏。

 前社長の田辺氏は創業家の出身で、1978年に社長に就任。同社は06年に他の部品メーカーの社長経験者が社長に就任したものの、意見が対立して07年に退任。その後10年、14年と、外部から社長候補を公募した。だが適任の後継者が見つからず経営体制は不安定だった。

 田辺氏は高額な報酬でも話題を呼んだ。ユーシンは14年11月期決算で4億円以上の当期赤字を計上する中、田辺氏は約14億円もの報酬を得ていた。16年夏には株主が田辺氏ら役員を相手に、損害賠償を求める株主代表訴訟を起こしている。

 また、下請け代金を不当に減額したとして、公正取引委員会は16年11月、ユーシンに勧告。減額分の総額1億4268万2625円は支払い済みだが、自動車部品メーカーの案件としては過去最大となった。

 岡部新社長は、製品設計や生産技術など技術畑を歩んできた。メーカーとしての原点を再認識する。

 「メーカーは商品が第一という考えや技術のアプローチの仕方などを私も伝え、現場でも意識を醸成させ、安く高品質な製品づくりに取り組む。長くかかるかもしれないが、地道に活動して企業体として復活させたい」と話す。

最終更新:3/21(火) 9:48

ニュースイッチ

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