ここから本文です

日産を変えたカルロス・ゴーン氏、CEO退任までの18年間の功罪

3/21(火) 6:20配信

乗りものニュース

カルロス・ゴーン氏、日産CEOを退任

 2017年2月23日(木)、日産は同社CEOがカルロス・ゴーン氏から西川廣人氏に変わることを発表しました。ゴーン氏は引退ではなく、ルノー・日産・三菱自動車のアライアンス全体を率いることに。つまり、階段をさらに一歩上に上がったのです。

【写真】日産新CEOの西川廣人氏

 そんなゴーン氏の率いる、ルノー・日産・三菱自動車のアライアンスにおける2016年の自動車販売数は約996万台でした。気がつけば、業界トップ2のフォルクスワーゲン(1031万台)とトヨタ(1017万台)に、あと少しで手が届くところまできています。カルロス・ゴーン氏が日産にやってきた1999(平成11)年のころを考えれば、なんという違いでしょう。当時の日産は、まさに倒産寸前だったのです。

 ゴーン氏がやってくる直前の日産の「1998年の実績(見込み)と1999年の計画」には、当時の日産は年間約280万台を生産し、そのうち約100万台を日本国内で販売していることが記されています。しかし、1998(平成10)年の生産は前年比マイナス8.6%、国内販売はマイナス13%という非常に厳しい状況です。国内シェアは約20%。かつてはトヨタと覇を争っていた日産ですが、90年代は日産にとって没落の時代となっていたのです。

わずか1年でのV字回復、ゴーン氏はなにをなしたか

 ゴーン氏が日産にやってきた半年後の1999(平成11)年10月に、「日産リバイバル・プラン」が発表されます。1兆円のコスト削減や工場閉鎖など、文字通りにリストラの嵐。当時、ゴーン氏が「コストカッター」と呼ばれたのも無理のない内容でした。

 ただ、いま資料を読めば、プラットフォームが24もあったり、工場稼働率がわずかに53%だったりと、経営危機も仕方ないと思わせるような効率の悪さです。ちなみに、1999年のルノー・日産アライアンスの年間生産台数は480万台でした。

 そしてゴーン氏は辣腕をふるい、2000(平成12)年度の決算で、日産はいきなり過去最高の3311億円の利益を叩き出したのです。わずか1年でのV字回復には、誰もが驚きました。

 それから日産は、プラットフォームの整理をどしどしと進めます。「サニー」や「パルサー」「プリメーラ」「ステージア」「アベニール」「ラシーン」といったクルマたちはいなくなりました。「セドリック/グロリア」や「ブルーバード」といった歴史ある車名も刷新されています。しかし、「フェアレディZ」や「GT-R」「スカイライン」といった伝統の車名は大切に守られています。また、「エクストレイル」や「ジューク」といった新しいヒット車も生まれました。世界に先がけて電気自動車の「リーフ」もリリースされています。国内導入はできませんでしたが、世界市場に「インフィニティ」ブランドを定着させることにも成功しています。また、中国市場など、世界進出も積極的に行いました。

1/2ページ