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1万3千~4千年前、縄文時代草創期にはすでに富士山は信仰の対象だった!?

3/28(火) 13:05配信

THE PAGE

 富士山周辺に数多くの縄文時代の遺跡があることはあまり知られていない。これら遺跡は縄文時代にはすでに富士山一帯に人が住み生活を営んでいたことを示している。こうした遺跡の中でも近年、特に注目度が増している遺跡がある。大鹿窪(おおしかくぼ)遺跡と千居(せんご)遺跡だ。この2つの遺跡には、当時の人たちが富士山を信仰していた痕跡があると専門家は言う。

 富士山の南西、富士宮市の山あいに位置する大鹿窪遺跡。付近一帯は畑が広がり、何も知らなければ遺跡も畑と見間違うほどだ。「掘るとポロポロと土器などが出土したため、地元の人たちは昔から、そこが遺跡だとわかっていました」と富士宮市埋蔵文化財センター。本格的な発掘調査が行われたのは平成13(2001)年になってからだった。

 調査の結果、国内最古の竪穴住居集落跡や2万点を越える土器・石器類が発見され、1万3千~4千年前の狩猟採集時代、縄文草創期の遺跡であることが明らかになった。遺跡内には、現在は保存のため埋め戻されて見ることはできないが、石が集積している遺構が確認されている。そして目前には山々の峰にそびえる富士山の姿が。

 一方、千居遺跡は大鹿窪遺跡の北、寺院敷地内の私有地に存在する。同遺跡は、紀元2~3千年、縄文中期の遺跡と考えられ、集落跡や多数の土器・石器類が発見されている。千居遺跡で特徴的なのは、イギリス・ストーンヘンジに代表されるストーンサークルと呼ばれる環状の配石遺構が見られることだ。環境考古学が専門の静岡県文化局教授の内山純蔵博士によると、同遺跡からは矢じりなど狩猟道具が目立って出土しているという。当時、村が形成されていた地域とは離れた場所に位置しており、「特定の時期に小さな集団が繰り返し集まってくる特別な場所」とみられている。

 千居遺跡のストーンサークルはどのような意図や目的で作られたのだろうか? そのヒントとして内山博士が指摘するのが伊勢市の二見興玉神社の夏至祭。毎年6月の夏至の日に伊勢湾に浮かぶ夫婦岩の前で禊ぎを行ない、夫婦岩の真ん中から富士山と重なって昇る太陽を拝む神事だ。

 1年で日が最も長い夏至には、大自然の生命力を取り込んで幸せと子孫繁栄を祈願する祭りが今も世界各地で行われている。縄文時代、富士山は現在の姿と異なり、東西に2つの頂上のある双子の山であったという。それが2900年前に東の峰が崩壊して現在の姿になった。

 千居遺跡の配石遺構から見て、当時、どの方向から夏至に太陽が昇ったのかを内山博士が調べたところ、まさに当時の富士山の双子の頂の間から日が昇っていたことがわかったという。「千居遺跡は、富士山の2つの峰の間から夏至を中心とする夏の日の出を臨む最適地を選んで作られたと考えられます」と内山博士。千居遺跡は縄文時代の「夏至祭」の場であったのだろうか。

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最終更新:3/31(金) 5:45
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