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【高校野球】報徳学園・永田監督、鬼の名将はなぜ「早すぎる勇退」を決断したのか

3/30(木) 18:14配信

Full-Count

準決敗退も驚異の粘り、1月に退任表明の指揮官「報徳の野球は最後まで諦めない」

 第89回選抜高校野球大会は30日、準決勝が行われ、報徳学園(兵庫)が履正社(大阪)に4-6で逆転負け。今大会限りで勇退を表明していた名将・永田裕治監督(53)は、15年ぶりの優勝まであと2勝で最後の甲子園を終えた。

第89回センバツ高校野球 試合結果一覧

 名門の意地を見せた。2回まで2点を先行されながら、3回に追いつき、6回に勝ち越し。1点リードの9回は1死から4点を奪われ、逆転を許した。3点差、万事休す――。誰もがそう思ったが、その裏に1点を返し、なお1死一、三塁。一発で逆転というところまで迫った。最後は併殺であと一歩及ばなかったが、かつて「逆転の報徳」と呼ばれた名門の底力を存分に発揮した。

「報徳の野球は最後まで絶対に諦めない。それから全員野球。これからも同じ方向を向かっていってほしい。レギュラーになれないからとかじゃなくて、ね。芯を持ってやっていってほしい」

 何度も喜びの声を発したお立ち台に立つと、永田監督は最後まで粘り抜いた教え子を温かくねぎらった。

 突然の「勇退劇」だった。1月27日。3年ぶり21度目の選抜出場を決めた日、吉報の後で自らの勇退を明かした。50代。指導者として老け込む年齢ではない。数々の名選手を育ててきた名将の早すぎる決断に、高校球界が揺れた。

「お前らは弱い」―練習に厳しい鬼監督、それでも選手、OBから厚い人望

 報徳学園出身。高校3年生の夏、右翼を守り、エースの金村義明氏(元近鉄、野球評論家)とともに全国制覇を達成。中京大に進み、桜宮(大阪)でコーチを務め、1994年に母校の監督となった。これまで春10度、夏7度と甲子園に出場。2002年は大谷智久(ロッテ)を擁してセンバツ優勝。選手でも監督でも頂点に立った。

 とにかく練習には厳しい監督だった。グラウンドでは怒号が響く。「もう練習に加わらなくていい!」「走っとけ」「こんなことされては、試合で使われへん」「帰れ」。ミスをしたり、一度言ったことを守らなかったりしたら容赦はしない。生徒たちが「やらせて下さい!」と懇願しても受け入れない。今年にチームについても「お話にならない」「お前らは弱い」と突き放しながら、指導をしてきた。それでも、選手たちは歯を食いしばって付いてきた。

 西宮市にあるグラウンドは、甲子園球場にほど近い。専用グラウンドではないが、外野は人工芝、照明も完備。全体練習が終わっても率先して自主練習する選手の姿がある。ウエート場なども野球の施設はしっかりと整備されている。練習環境は良いと言っていい。同校野球部の出身者はプロはもちろん、社会人野球の名門チーム、関東、近畿、九州と名門大学へと進んでいる。OBらからの人望も厚い。

 有望な中学生も「報徳で野球をやりたい」と入ってくる。今年のエースの西垣雅矢、篠原翔太の3年生バッテリーは全国クラス。一塁手の神頭勇介、遊撃手の小園海斗の2年生コンビは、早くもプロ球団のリストに挙がっている。来年以降も十分に全国トップクラスといえる戦力がいる。保健体育の教師でもある永田監督に、厳しい人間教育を託す親は少なくない。教え子たちもコーチとして力をつけてきた。

 それなのに、なぜ辞めるのか。大会前、指揮官は明かした。

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最終更新:3/30(木) 21:00
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