ここから本文です

戦時中、和菓子屋の名前に変えさせられたケーキ屋さん 「本当に悔しかった」

4/1(土) 6:30配信

BuzzFeed Japan

「ララ洋菓子店」というケーキ屋が、静岡・三島にある。創業85年。戦前からケーキやパンを販売してきた老舗だ。太宰治も足を運んだというこの店は戦時中、名前を和菓子屋「菊屋」に変えさせられたことがある。「敵国語」だったことが、その理由だった。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」視点から、小学校の道徳教科書の「パン屋」が「和菓子屋」に変わったニュースと、どこか重なるこの話。

いったい、当時の日本ではどんなことが起きていたのか。そしてその店に関わる人たちは、いま何を感じているのか。

「今回のニュースを聞いて真っ先に思い出したのが、祖父母のやっていた洋菓子店の話でした」

実家であるララ洋菓子店で修行を積み、いまは神奈川県小田原市でパン屋「ポタジェララ」を営んでいる小澤ちひろさん(53)は、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。

「洋菓子店を和菓子屋の名前に変えさせられる。昔はそんなことがあったのかと驚いていたのですが、今回のニュースはまさに、おばあちゃんの言っていた通りだと……」

最先端の文化を生かして

小澤さんの話や資料をもとに、歴史を紐解いてみよう。

ララ洋菓子店は1932(昭和7)年、小澤さんの祖父である菊川義雄さんが立ち上げた店だ。

「誰にでも覚えやすいように」。それが、店名「ララ」の由来。

和菓子屋の次男だった菊川さんは丁稚奉公に出され、若いころは東京で暮らしていた。三島の中心部・広小路に店を構えることになったのは、世界恐慌があったばかりの不景気な時代だ。

当時27歳の菊川さんは、もとは銀座・三越で働いていた妻・千代子さんと2人で店を切り盛りすることにした。町で最初の洋菓子店は、自分たちが知る最先端の文化を生かした、挑戦だった。

店にも及んだ戦争の影

ようやく店が回り始めたころ。町には、戦争の気配が近づいていた。

ララ洋菓子店にも、それは及んだ。1937年、満州事変が勃発すると菊川さんは召集され、2年間中国に派遣されることになる。

無事帰国はしたものの、息つく間もなく、1941年から1943年までは内地(国内)に召集された。生前の千代子さんは、「三島の女性史」(静岡新聞社発行)による聞き書きに、こんなことを語っている。

戦争中に苦労したのは、夫が中国に行っている間に材料が手に入りにくくなり商売も不安定になったことです。

そんな折りに菓子職人から「暇をもらいたい!」と言われたのには、つらかったです。「出征軍人の家を見捨てていいのか、よく考えてみて」と、強気で言い聞かせて思い留まってもらいました。

1/2ページ

最終更新:4/1(土) 14:14
BuzzFeed Japan