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テニスの偉人チルデンの記念碑設置がまたも却下

4/1(土) 13:00配信

THE TENNIS DAILY

 国家の歴史家のグループが、テニスの偉人ビル・チルデン(アメリカ)に栄誉を授けるための記念碑を設置する提案をまたも却下した。実際、彼の軌跡はかなり複雑なものだ。彼の遺産の中には3度にわたるウィンブルドン・タイトルがあるが、また、10代の少年との性的不品行、いわゆるわいせつ行為による2度の逮捕もあったのである。

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 チルデンは1920年にウィンブルドンで優勝した最初のアメリカ人となり、全米オープンでは7度優勝を果たした。1950年にAPは投票により、彼を20世紀前半におけるもっとも偉大なテニスプレーヤーに選んでいた。

 一年前、ペンシルベニアの歴史的遺産の保護や解釈に当たる政府の機関であるペンシルベニア州歴史博物館委員会は、1940年代のチルデンの有罪判決を理由に挙げ、フィラデルフィアのジェルマンタウン・クリケットクラブに記念碑を設置するプランを却下した。チルデンは14歳の少年とともに車の中にいるところを警察に捕らえられたあと、刑務所で7ヵ月を過ごし、また保護観察期間に違反を犯したかどで、さらに10ヵ月の間、監獄農場(※模範囚・危険のない囚人が仕事をさせられる場所)に送られた。

 歴史的記念碑プログラムの調整を司っているカレン・ガールは水曜日に、委員会は以前の投票で案を1対4で否決したあと、3月22日にふたたびチルデンの記念碑を設置する案を退けたことを認めた。

「チルデンのテニスプレーヤーとしてのキャリアと彼の才能は議論の余地なきものである。その一方で、未成年者との性的違法行為で有罪判決を受けた事実もある」と委員会のスポークスマン、ハワード・ポールマンは言った。

「彼を歴史的偉人と認めることは、性的虐待を受けた被害者への敬意を欠く行為と受け取られるかもしれない」とポールマン。

 州政府は、ほかのスポーツマン----元ペンシルベニア州立大学のアメリカン・フットボールのアシスタントコーチ、ジェリー・サンドゥスキーが関与している性的虐待のスキャンダルから立ち直ろうとしているところなのだと歴史家は言う。サンドゥスキーは数人の少年に性的嫌がらせをしたかどで有罪判決を受けていたが、当人は自らの無実を訴え、現在上訴している最中だ。

 1946年11月、14歳の少年が不安定な軌道を描きながらチルデンの車を運転しているところを捕らえられたあと、チルデンはアメリカ・カリフォルニア州のビバリーヒルズで逮捕された。警察官は少年が車から降りてきたとき、彼のズボンのファスナーは降りていたとレポートしている。警察はいっしょに車の中にいたチルデンを未成年の不法行為に協力したかどで逮捕し、彼は自白書にサインをした。

 チルデンは1949年、やはり十代の少年といっしょにいるところを捕まり、ほかの十代の未成年の体をまさぐった疑いで糾弾された。

 フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれたチルデンは、そのキャリアを通して定期的に雑誌、新聞、ニュース、映画に登場していた。彼はハリウッドのエリートたちの友人であり、ワレン・ハーディング大統領に招待されてホワイトハウスでプレーしたこともある。かつては金持ちだけのためのスポーツとされていたテニスだが、彼はすべての財政的バックグラウンドの子供たちにテニスを学ぶよう促した功績を認められており、現代のプレーヤーたちはどのようにテニスをプレーすべきかを説明した彼のマニュアルをいまだ高く評価している。

 チルデンの有罪判決のあと、ジャーマンタウン・クラブでの彼のメンバーシップは無効にされ、彼の肖像画は取り除かれた。チルデンは1953年にこの世を去った。

 しかし近年、ジャーマンタウン・クラブはテニス選手としてのチルデンの思い出を好意的に受け入れ始め、フィラデルフィアの住民のグループがクラブに彼の記念碑を飾るよう働きかけていた。(C)AP (テニスデイリー/THE TENNIS DAILY)

Photo: 5th July 1930: American tennis player William Tatem Tilden (1893 - 1953) in action against Wilmer Allison, also of the US, during the men's singles final at Wimbledon. Tilden emerged that year's champion. (Photo by S. R. Gaiger/Topical Press Agency/Getty Images)

最終更新:4/1(土) 13:00
THE TENNIS DAILY