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【あの時・負け組の星ハルウララ】(4)高知競馬の廃止危機救った驚異の売り上げ

スポーツ報知 4/3(月) 15:01配信

 2003年12月14日の100戦目の報道に加え、5日後にNHKが「にんげんドキュメント 日々これ連敗~競走馬ハルウララ~」で特集すると、ファンレターが急増。全国から届いたニンジンが宗石厩舎に山積みになった。

 闘病中、リストラされた会社員、不登校の生徒も。ある女性は「私も71年間生きてきて一度も1番になったことがありません。ハルウララが一生懸命走っているのを見て、私も残り少ない人生を一生懸命に走らなくてはと、涙が出ました」とつづった。

 ♪みんなの声援うけながら いつかは1着夢に見て 私は「懸命」走ります(「ハルウララの詩」)

 04年1月下旬に、武豊騎乗の報道。3月22日は交流重賞・黒船賞に騎乗するJRA騎手が騎乗可能になる。2月初旬には、そのレースが各地の地方競馬場でも“全国発売”されると報じられた。8回線ある事務局の電話はパンクした。「1時間に1本やったのが、1分に1本どころじゃなかった」。02年高知国体で会場計画に携わった班長の山中雅也は、競馬場内外の図面とにらめっこし、計画を練った。

 「ハルウララにすがるしかない。みんな同じ方向見てるからパワーが生まれた」と広報の吉田昌史。職員20人は寝る間も惜しんで働き続けた。組合トップの前田英博が言った。「人間というのは苦しみの中だけでは前を向けない。でも、ハルウララによってお客さんが来てくれたことが、みんなの明るい希望になった」

 3月22日、高知競馬場。8か所設けたウララ馬券専用窓口は開門直後から長蛇の列で最大4時間待ちの混雑ぶり。各地の地方競馬場と場外発売所でも通常の3~8倍の観客が殺到した。「単勝って何?」と聞く女性など多くが競馬初心者だった。最終10Rへボルテージは高まっていく。

 16時35分、106戦目のゲートが開いた。ハルウララは11頭立ての後方から。不良馬場で飛び散る泥をまともに浴びる。

 単勝1・8倍の圧倒的1番人気を背負いながら、見せ場なくゴール。先頭から11馬身離れた10着にため息がもれたが、拍手の音が大きくなっていく。

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最終更新:4/3(月) 15:01

スポーツ報知

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