ここから本文です

【あの時・負け組の星ハルウララ】(2)「火の車」だった高知競馬

スポーツ報知 4/3(月) 15:01配信

 「行けっ、吉田! どっかが食いついてくれる」。高知県競馬組合事務局。企画総務班長の山中雅也の威勢のいい声に押されるように、広報担当の吉田昌史がファクスの一斉送信ボタンを押した。2003年6月21日のハルウララ89戦目に向けたニュースリリースが流れた。

 『負けても、負けてもあきらめずに、ただひたすら初勝利を目指すハルウララ号が(中略)出走を予定しています。私たち人間なら、とっくの昔にあきらめていたのではないかと思われるほどの気の遠くなる挑戦を続ける同馬に、どうかご声援よろしくお願いします』

 馬主、調教師、騎手、厩(きゅう)務員に組合職員、従事員ら約700人が関わる高知競馬の経営は火の車だった。02年度末、累積赤字88億円を抱え、県と市が負債を背負う代わりに新たな赤字を出さないことが「存続」の条件とされた。当時の組合トップで管理者の前田英博いわく、「死刑(宣告)に等しかった」。新年度の03年4月1日、県庁からの出向者の1人が、「俺が高知競馬を救う」と志願した山中だった。「最後のチャンスと思たきね。最初に、みんなで掃除しませんかって言うたんよ」

 当時の競馬場はゴミが散乱する薄汚れた“鉄火場”。自らトイレを磨き、職員たちと一緒に前田も汗をかいた。存廃に直結する馬券の売り上げ増には、ファンに足を運んでもらわなければ始まらない。吉田は、騎手の妻たちと一緒に繁華街で開催をPRするチラシ配りもした。だが、7月には賞金大幅カット、5万円の出走手当半減などのリストラが待っていた。

 そんな折、6月13日の高知新聞夕刊で、88連敗のハルウララが「1回ぐらい 勝とうな」の見出しで大きく紹介される。実況アナウンサーの橋口浩二が仕事に必要なデータを調べるうち、その存在に注目。存廃問題を追う地元紙記者の耳に入ったのだ。

 すでに背水の陣。山中が飛びついた。

 「ハルウララを(広報)したらどうな」。「負け続ける馬、取り上げるの、おかしないですか」。

1/2ページ

最終更新:4/3(月) 15:01

スポーツ報知

スポーツナビ 競馬情報

重賞ピックアップ