ここから本文です

【あの時・負け組の星ハルウララ】(5)ラストランから13年、今も丈夫そのもの

スポーツ報知 4/3(月) 15:01配信

 ハルウララはその後も走り、2004年5月に2着、6月にも3着と上位争い。弟のオノゾミドオリ、妹のミツイシフラワーとの3きょうだい対決で再び全国発売された8月3日、113戦目の5着がラストランになった。ハルウララが姿を消すと、あれだけ過熱したブームは去り、売り上げは年々減少していった。

 ハルウララで稼いだ剰余金も尽き、08年度の売り上げは過去最低。競馬組合トップの管理者で、当時は事務局長として赴任した笹岡貴文は「みんな前向きだった」と振り返る。経費を切り詰め、09年度にナイター競馬導入に踏み切ると、インターネット投票の普及と相まって売り上げは右肩上がりに回復。「強い馬づくり」を掲げ、昨年末から上位入着馬の賞金額をおおむね倍に引き上げた。16年度の売り上げは25年ぶりにレコードを更新。かつてタブーの連敗馬を売り出し、負け組だった高知競馬は強くなった。

 66歳の宗石大は調教師を続けている。「僕らご飯食べていかんとアカンからね。ほかのこと、できんですよ。ハルウララのことがなかったら、誰も高知競馬を知らんですよ。ハルウララで知ってもらったから、今の高知競馬がある。高知競馬は不滅です。高知競馬が勝ったんですよ」

 企画総務班長として陣頭指揮を執った山中雅也は高知競馬には2年いただけで県庁に戻った。「(武豊が騎乗した)あの日は、僕の仲間が年休取ってボランティアでゴミ拾いや馬券講座をやってくれたんよ。仲間? 県庁の競馬仲間よ。年1回、菊花賞に行くメンバー」。根っからの競馬好きが、地元のピンチに駆けつけた。その筆頭が山中だった。

 事業課管理班長になった吉田昌史は、場内イベントではスターター吉田としてギターを弾く。「歌うと手拍子が始まります。ほかの歌もやりますけど、一番響くらしいですね」

 ♪どうにかここまでこれたのは みんなの応援あったから(中略)夢のゴールはきっと来る(「ハルウララの詩」)

1/2ページ

最終更新:4/3(月) 15:01

スポーツ報知

スポーツナビ 競馬情報

重賞ピックアップ