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「脱原発、出世に影響あったけど…」元スイス大使が「原発反対」訴えた理由 賛否めぐる断絶、埋めるには?

withnews 4/6(木) 7:00配信

 元スイス大使の村田光平さんは、外交官の身で「脱原発」を表明し、現在も各地で原発の危険を訴え続けています。原発推進という「国策」を真っ向から批判して外務省を去った村田さん。原発の是非を巡っては時に「放射脳」などの言葉がネット上で使われ、一方的な批判の応酬になりがちです。建設的な議論をするには、何が必要なのか? 異色の元外交官に話を聞きました。

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いわゆるキャリア外交官のエリート

 村田光平さんは、1938年に東京で生まれました。1961年に東京大学法学部を卒業し、外交官として外務省に入ります。

 フランスに2年間留学し、在アルジェリア公使、在仏公使、在セネガル大使、在スイス大使を歴任しました。いわゆるキャリア外交官のエリートともいえる経歴です。

 そんな村田さんが、なぜ脱原発を訴えることになったのでしょう?

外交官しながら「脱原発」

 村田さんは「在セネガル大使時代(1989-1992)に、太陽光エネルギー事業を推進しました。それが地元でも、とても好評だったんです」と振り返ります。

 当時は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の記憶が色濃い時期でした。

 「いい自然エネルギーが得られるのに、なぜ危険な原子力を使わなければならないのか。疑問を持ちました」

 その後、原発反対の運動に参加するようになります。1994年に発生した中部電力浜岡原発の放射能漏れ事故では、外交官の身で脱原発を訴えました。

「出世にも影響はあった」

 ただ、原発推進は日本政府の「国策」です。村田さんへの風当たりは強くなかったのでしょうか?

 「もちろん不安というか、心配はありました」

 実際、大使の身分で脱原発を訴えたことで、1998年、当時の労働大臣・甘利明氏から閣僚会議で批判をされ、外務省の官房長から注意を受けたそうです。

 村田さんは「出世にも影響があったと思います」と振り返ります。

 スイス大使の任期終了後、ほかの大使の任命はありませんでした。結局、外務省を辞めて東海学園大学で教えることになりました。

 「でも、かえってよかった。使命だと思うことが、より自由にできるようになったからです」

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最終更新:4/6(木) 10:02

withnews