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製粉・精米・線香作りにも……かつての繁栄をしのぶ佐賀神埼の水車群

4/9(日) 10:20配信

THE PAGE

 国内旅行でも人気の高い九州地方。中でも福岡、長崎は観光客が多く訪れるエリアだ。その両県に挟まれた佐賀県だが、かつて“文明ロード”と言われた長崎街道に沿って多くの宿場を有し、古くは弥生時代からの遺跡も残っている。日本の国の成り立ちをうかがわせるそんな歴史のあるまち、佐賀の神埼を訪ねた。

フォト・ジャーナル<“悠久の里” 佐賀・神埼の旅>-倉谷清文第4回

 平野が広がる平坦な地形が佐賀県のイメージだったが、ここ神埼は脊振山(せふりさん)から山間部を抜けて、平野に広がる地形である。その恵まれた地形と豊富な水系が、水力(水車)というエネルギーをこの地に与えた。

 仁比山(にいやま)地区では明治15年には3基、明治30年には60基もの水車が造られ、大水車群が形成された。昼夜問わず稼働し、周りには料理屋、旅館が7軒もできるほど賑わっていたという。

 水車がここまで多数できた背景には、神埼の名物「神埼そうめん」の影響が大きい。製粉の需要が多いこと、清流である城原(じょうばる)川の豊富な水量とそれを取り入れた水路が一定の水流を保つよう整備されたことによる。

 しかし、時代とともに電気の利用によりその水車も徐々に姿を消し、昭和30年頃にはほとんど稼働する姿はなくなったそうだ。かつて、製粉・精米以外に製材、製紙、はたまた線香製造にまで利用されていた水車、現存する物は保存、復元された数基になった。

 未だ勢いのある城原川上流の川辺を辿ってみると、水車群が繁栄していた頃に造られた眼鏡橋が架かっていた。

(2017年3月撮影)

最終更新:7/28(金) 16:35
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