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38年間住んだベネズエラを後にして

4/8(土) 7:30配信

ニッケイ新聞

 画家の小谷孝子さんは38年間もベネズエラに住んだが、不況や治安の悪化などあまりの国情の変わりように耐え切れなくなり、昨年3月に日本に永住帰国した。「第2の祖国」への惜別の思いを込めた文章が、昨年末の12月28日にサイト「ベネズエラで起きていること」(https://venezuelainjapanese.com/2016/12/31/kodani/)に投稿された。サイト管理者から許可をえて、ここに転載する。ベネズエラではこの3月30日に、最高裁が議会の立法権限の剥奪を決定するなど、事実上の独裁国家となった。ついこの間まで、そんな国とベッタリの政権が当地にはあった。同じ南米の地に住む日本人として、けっして人事ではない体験だ。(編集部)

 ベネズエラがどんな国か知る人は少ないだろう。ましてや今その国で何が起きているか知る人はほんの僅かだろう。
 1977年、私が行ったベネズエラは南米の中でも民主主義で政治的にも経済的にも安定し人々は生活を謳歌していた。
 豊富な自然資源や世界でも有数の石油生産国。美しい山や透き通るカリブ海、青い大空を飛び交う色とりどりの鳥や咲き誇る花々、おいしいトロピカルフルーツに新鮮な魚類、世界中の料理が楽しめるレストランがあちこちにあった。
 そして何よりすばらしいのは、人懐っこい優しい心の人たちだった。
 すっかり現地に溶け込んで38年間カラカス郊外に暮らしていた。しかし、この18年間の政治経済危機で治安が最悪になり、命の危険を感じとうとう精神的に参って今年3月帰国した。

▼未曾有の食料難

 この「南米の楽園」は石油生産収入に頼り切っていた経済体制が崩れると、国有化された生産工場は原料の輸入が出来ず製造不能に陥り、輸入品も市場から消え、未曾有の食糧難になった。
 日本の国土約4倍に住む3千万人の国民のほとんどが今、食物にも事欠くほどの極限状態に追い込まれている。赤子に与えるミルクもなくお米やパスタのとぎ汁を与え、子供は腹を空かせて今日も泣き寝入る。幼児や病人用のおしめがあると聞いて早朝から何時間も並んでも手に入るとは限らない。
 ガンや糖尿病等全ての薬、風邪薬さえ見つからず、病人や怪我人で溢れる公共病院はレントゲンや各検査器具は壊れ殆ど使用不可能でシーツやガーゼさえない。
 ごく普通の人が野良犬と共にゴミ箱を漁っているのをあちこちで見かけるし、空腹のあまり石鹸や毒のある芋類を食べて死亡した人も出た。

▼食料品だけで生活費が消え去った

 この数年間スーパーで欲しいものが殆ど見当たらず、何かおかしいと気が付いて、殆ど毎日食料を求めて、長時間並びながら見知らぬ人と将来の不安を語り慰めあった。
 必要でなくても手に入る物は何でも購入してきた。洗濯石鹸、歯磨き粉、シャンプー、油、粉ミルク、米、粉、パスタ、ソース缶詰類等ありとあらゆるものを買いだめした。
 食料品だけで生活費が消え去ったが、すべてが店の棚から姿を消した時どんなに助かったかわからない。隣近所と物々交換したり、人への支払いを米やミルクですると手を取って感謝された。
 一昔前、日本へ帰った時奮発してウォシュレットを買った。アメリカの税関でこれは何だと怪訝臭そうに聞かれ、麻薬でも隠していないかとさかんにいじくり勘繰る係員の前でぐっと我慢した。トイレット・ペーパーがないと皆が青い顔で探し回るとき、私は日本が発明したこのすばらしい器具に感謝した。

▼気が付いたら昔知っていた日本人は殆どいなくなってしまっていた

 たまに行く中国人の青空市場で出会う日本人も、物価の高さ、治安の悪さ、これからどうなるかと皆同じことを口にした。そしてふと気が付いたら昔知っていた日本人は殆どいなくなってしまっていた。日系人の数は1977年頃1500人と聞いていた。今は確かではないが300人ぐらい*だということだ。(*註:領事関連情報によれば、2016年10月1日時点でベネズエラに住む日本人は長期滞在者88名、永住者321名)

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最終更新:4/8(土) 7:30
ニッケイ新聞