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レーガン元大統領ら数々のセレブに料理を提供してきた敏腕シェフ 最高のほめ言葉と、故郷沖縄への思い…

4/8(土) 6:15配信

沖縄タイムス

 [我ら“うちなーんちゅ”米ロス発] 実男スコット比嘉さん 

 1966年にロサンゼルスで生まれた比嘉さんは、2歳の時に両親の生まれ故郷沖縄に一家で引き揚げ、中学1年まで沖縄市で過ごし、再び家族でロサンゼルスに戻ってきた。英語を覚えておらず、中学の間は英語で苦労し、離れ離れになった友達が住む沖縄に戻りたいと、いつも夢見ていたそうだ。

 ■続いたのは1人だけ

 高校卒業後は地元オレンジ郡にある遊園地ナッツベリーファームで働き始めた。「将来、何になったらいいか分からない」と悩んでいた時、美容院を経営する母親の顧客だったフレンチの日本人料理長の下で修業することになった。

 「オムニインターナショナルのレストランの仕事。それまで私は何をやっても続かないと言われていたので、よし、頑張ってやろうという覚悟で臨んだ。一緒に4人の新人が入ったが、3年後にはみんな辞めて1人になっていた」

 ■マリオットに入社

 オムニから移ったアナハイムのヒルトンでは氷の彫刻を習得。さらにロサンゼルス近郊のフランス料理のレストランを経て、24歳の時にマリオットホテルに入社。以来、世界各地で腕を磨いてきた。

 センチュリーシティのJWマリオット時代には、隣のビルにオフィスを構えていたロナルド・レーガン大統領の食事を担当。26歳の時にはマリオット香港、さらにマリオットグループとなった札幌ルネッサンスホテルでは30歳の若さで料飲部の部長に抜てきされた。

 ■母親のような料理

 2002年にはハリウッドにオープンしたルネッサンスホテルの料理長に就任。07年にマリオットをいったん退社し、ビバリーヒルズにレストランをオープン。軌道に乗った後は経営をパートナーに任せ、再び、マリオットに復帰し、4年前からオアフにあるマリオット・コオリナバケーションクラブに勤務している。

 現在の肩書はマリオットバケーション料飲部のハワイ諸島マーケットディレクター。オバマ前大統領やヒラリー・クリントン氏ら、多くのセレブリティに料理を作ってきたが、今も思い出すのはロサンゼルスのマレーシア大使のためにマレーシア料理を研究して作った際「まるで母親の料理のようだ」と喜ばれたことだ。

 ■“鉄人”からもらった包丁

 12年にハワイで開催されたフード・ワイン・フェスティバルで“フレンチの鉄人”坂井宏行シェフと一緒に働き「憧れの坂井シェフから、彼の包丁を『君にあげる』といただいた。感激した」と振り返る。

 母の勧めで入ったフランス料理の道はすでに32年。「もともと不器用だったが、人一倍努力し、お客さまのためにいつも一生懸命との姿勢を忘れたことはない。どうすれば素材の持ち味を最大限引き出せるかを常に考えている。修業させていただいたシェフの教えが今でも心にある」と語る。

 50歳を迎え、比嘉さんの中に新たな計画がある。「故郷沖縄に帰りたい。料理人としての経験を沖縄の地に還元する方法を考えている」。比嘉シェフが故郷に凱旋(がいせん)する日も近そうだ。(福田恵子)

最終更新:6/5(月) 11:55
沖縄タイムス