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大阪桐蔭・西谷監督、高校時代は超真面目キャラ

スポーツ報知 4/10(月) 10:03配信

 大阪桐蔭の西谷浩一監督(47)は、センバツで履正社との“大阪決戦”を制し、チームを春夏甲子園通算5度目の日本一に導いた。驚異的なペースで白星を積み上げる名監督としての礎は、超真面目キャラだった報徳学園(兵庫)時代にあった。当時の恩師だった関西学院・広岡正信監督(63)らが振り返り、名監督の原点を探った。

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 思い浮かぶのは、どんなときでも実直に練習に取り組む姿だった。「今まで見てきた生徒のなかでとびきり真面目。7時からの朝練は自由参加でしたが、欠かさず来ていましたね」。恩師の広岡監督が懐かしそうに振り返った。

 西谷監督は小学6年生だった1981年夏、金村義明(スポーツ報知評論家)らを擁し全国制覇した報徳学園にあこがれ、全国レベルの強豪校の門を叩いた。

 当時の報徳は1年生が朝6時に学校に到着し、準備するのが日課だった。2年になっても6時にグラウンドに行き、誰よりも早く練習を始めた。3年の夏の直前に、下級生の不祥事が発覚。甲子園への道が閉ざされても、練習をやめることはなかったという。

 チームメートだった畝川(せがわ)晃典さん(47)は、当時の西谷監督が真面目で素直すぎるが故の笑い話を明かした。「学校で、先輩から『これほって(捨てて)くれ』と中身が入ったジュースを渡されたんですけど、それをそのまま放り返して…。めっちゃ怒られてました」。

 同級生で集合写真を撮る時には真ん中に座らされ、帽子のつばを上に向けられた。「真面目なんだけど、どこか抜けていて可愛げがあるんですよね」と広岡監督。捕手として定位置はつかめなかったものの、指揮官や仲間から愛される、欠かせない存在だった。

 選手として大舞台を踏むことはなかった。努力と真面目さだけでは打開できない領域が存在することも経験している。中学時代に全国レベルだった選手が集まる大阪桐蔭は、厳しい練習による競争で知られるが、畝川さんは「西谷は『これくらい当たり前』と思っている。自分がやってきたわけですから」と話す。優勝から一夜明けた2日、西谷監督は宿舎で「今から学校に帰って練習します」と宣言。夏を見据えるその顔つきは、高校時代と何も変わってはいない。(種村 亮)

最終更新:4/10(月) 11:18

スポーツ報知