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浅田真央「自分の強み」トリプルアクセルと生きたスケート人生

スポーツ報知 4/11(火) 6:05配信

 引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(26)=中京大=はスケート人生を、伝家の宝刀のトリプルアクセルと共に生きた。女子では世界でも一握りの選手しか成功していない大技。「これがあるから自分は強くいられる。決まると乗ってくるし、大きな見せ場で、自分の強みでもある」とこだわった。

 女子では1992年アルベールビル五輪銀メダルの伊藤みどりさんが初めて成功させた。真央は「憧れの存在だった」というクラブの先輩を追うように、伊藤さんを教えた山田満知子コーチに師事し、小学生から取り組み始めた。11年に死去した母、匡子さんとの思い出が詰まった特別なジャンプでもあった。10年バンクーバー五輪後から指導した佐藤信夫コーチは「アクセルはあなたの生きがい」と理解を示し、復活を支えた。

 左膝痛の影響でオフに滑り込みができず、今季は初戦のフィンランディア杯、スケートアメリカ、フランス杯でトリプルアクセル回避を強いられた。最後の試合となった全日本選手権では「跳ぼうと思って練習してきてた」とこだわった。練習中、転倒を繰り返しながらも何度も立ち上がり、跳ぼうとした。SPで1回転半、フリーでは転倒。最後のシーズンは、代名詞のジャンプを決められないまま終わったが、挑み続ける姿が印象的だった。

 GPシリーズは4度のファイナル制覇を含む15勝。全日本選手権では6度優勝した。中学3年生の05年12月にGPファイナル(東京)で当時「最強」とされたイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えて初出場で優勝し、世界に衝撃を与えた。天真らんまんな少女が大人に成長する過程を日本中が見守った。26歳になった今でも親しみを込めて「真央ちゃん」と呼ばれる。

 11年12月に最愛の母、匡子さんを亡くしたが、悲しみに耐えて直後の全日本選手権で5度目の優勝。14年のソチ五輪は16位と出遅れたショートプログラムから圧巻の巻き返しで6位。涙を見せたフリーの「伝説の4分」は感動を与えた。フィギュアを日本で有数のメジャーな競技に押し上げた功績は計り知れない。

最終更新:4/11(火) 14:22

スポーツ報知