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カズがオランダで見せた熱いハートと、撮れなかったミラノでのあの姿

スポーツ報知 4/11(火) 20:02配信

 1992年7月、日本代表に就任したオフト監督の初めての海外合宿がオランダ・ユトレヒト郊外で始まった。後にダイナスティ杯、アジア杯を制覇する快進撃の元となるキャンプだったが、今では考えられないことに3日目まで取材者はテレビや新聞、雑誌やフリーランスを含め私だけ。アムステルダムの空港からオフト監督が運転する自家用車に同乗させてもらい、代表との同宿も許された。同行スタッフも少なく、取材そっちのけで球拾いなど練習の手伝いもすることになった。

【写真】50歳でも健在、カズダンス!

 おかげで選手から空き時間を利用して色々な話も聞け、イビキがうるさくて特例で1人部屋だった武田修宏や、大学時代から代表入りしていた井原正巳から、Jリーグ開幕を翌年に控えた意気込みなどを聞くことができた。そんな中、ひときわ熱く語ってくれたのがカズだった。「プロと言っても、レベルが上がらなければファンは見放す。みんな精一杯努力してファンを増やし、たくさんお金をもらっていい車に乗って、子供たちの夢とならなければいけない。そして何より日本代表が強くなってワールドカップに出場し、活躍して世界のチームでプレーするようにならなきゃ。ブラジルにいてワールドカップに出場するってことがどんなに大事か、よく分かったよ…」。ティーカップを手に熱弁は続いた。16歳で単身ブラジルに渡り、苦難の末プロ契約選手となった男の言葉は重かった。他の選手はまだ、W杯など夢物語と考えていた時代、南米で世界的なレベルを体感しプロとして世界大会に出る重要性の認識度が違った。

 それから6年後の1998年、フランスW杯に向けたスイス直前合宿。先乗り取材していた後輩カメラマンと合流し、久しぶりにカズやキーちゃん(北澤豪)に会えるのを楽しみにしていたら、2人は次の日岡田監督からメンバー落ちの通告を受け、スイスを去っていった。ドーハの悲劇を経験し、今度こそと思ったら落選の憂き目に遭ったカズの心情を思うと切ない気持ちになった。

 翌朝、東京・運動部のデスクからイタリア・ミラノにいる2人の所へ話を聞きに行ってほしいと電話があった。「現地にいるのが経験の少ない記者でどうにもならず、旧知の成海に何とかしてほしい」とのこと。気落ちした彼らに会うのはつらかったが、しかたなく憂鬱な気持ちでミラノに向かった。

 彼らの滞在するミラノ市内の高級ホテルに着くと、すでにロビーには記者やカメラマンが前日から張り込んでいた。ふと見ると中庭を歩く北澤の姿、「今回は残念だった。辛いと思うけど、カズと1分だけ(表に)出てきてくれないかな」。無理なお願いだったが北澤は「俺は覚悟していたけどカズさんはかなりショックみたい。だけど一応聞いてきてあげるよ」と代わりに交渉しに行ってもらった。しかし数十分後に「やはり無理。明日成田空港に着いたら全てを話すから、ここは勘弁してくれ(と言っている)」と返答が返ってきた。

 それでも何とかカズの姿、一言が諦めきない私たちは、ホテル内のレストランで食事を終え出てくる2人を取材しようと試みた。入り口から出てきたカズに私が代表して交渉するため近寄ろうとした時、後方にいた他紙のカメラマンのフラッシュが光った。激高したカズはカメラを取り上げようとカメラマンに詰め寄り、止めに入った私と腕を掴みあいながら言い争いに。お互い興奮状態となり五つ星ホテルは騒然となった。

 こう着状態は数分間続き、北澤のとりなしでその場は何とか収まった。我々はその場での取材を諦め、帰国する姿をとらえようとミラノ・マルペンサ空港に先回りしたが、私は失望感が強くとても彼らの写真を撮る気にはなれずカメラを構えることができなかった。30年近いカメラマン歴で唯一、シャッターを押すことができなかった。

 W杯フランス大会が終わり帰国して半年後、カズを取材する機会がありミラノの件を謝罪した。カズは「気にしてない。仕事だから仕方ないよ、まだまだ(W杯出場)諦めていない」といつもの笑顔で迎えてくれた。救われた思いがした。

 時は流れ、数年前に宮崎・綾町での練習試合で、久しぶりにカズと話をする機会があった。「年齢なんて関係ないし気にしてないよ、でも試合に出なければ続ける意味がないので精一杯の努力はするよ、もちろん代表だって諦めてないよ(笑い)」。そこには二十数年前にオランダで語ってくれた、熱いハートの持ち主が健在だった。

 そして今年、とうとう50歳に到達した。今もなお現役でプレーし、たくさんのサポーターに愛されるカズは、きっとW杯に出場する以上に幸せな選手なのだと思う。(記者コラム・写真部長 成海晃)

最終更新:4/11(火) 20:45

スポーツ報知

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