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真央がトリノに出ていたら「金」…城田元強化部長

スポーツ報知 4/12(水) 5:04配信

 10日に引退を表明したフィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)=中京大=。98年長野から06年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務め、現在はANAの監督として活躍する城田憲子氏が強烈な出会いの印象を明かし「トリノ五輪に出ていたら金メダルだった」と語った。

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 荒川静香が金メダルに輝いたトリノ五輪に、もしも14歳だった真央ちゃんが出場していたら―。金メダルを取っていたと今でも思っている。トリプルアクセルを跳べればという前提になるけど、真央ちゃんは、おそらく満点近い点数をジャッジから与えられる要素を持っていた。氷上での美しさであり、ジャンプのダイナミックさ、そして演技力。トリノには彼女を8歳から育成してきた強化の責任者であった私が、誰よりも出したかった。

 初めて会ったのが彼女が8歳の時。これは私の長い強化の人生でも永遠の思い出。夏の長野・野辺山での有望新人合宿に山田満智子コーチが姉の舞さんといっしょに連れてきた。厳しい山田先生が「すごいのよ」と言う。基礎を教えるのがうまい門奈(裕子)コーチの指導を経ての来訪とも聞いていたけど、ひと目見た瞬間、滑りすら見てないのに、「この子は将来、必ず世界チャンピオン、五輪で金メダルを取るな」と直感した。エレガントさがあり、何と言ってもキュート。これって理屈じゃない。せっかく来てくれたのに、名古屋までそのまま帰すのもかわいそう。合宿に入れる年齢は9歳からだったけど、ルールを取っ払って入れた。

 フィギュアスケーターの育成は、花を咲かせることに似ている。水をやりすぎると根腐れしちゃうし、日に当てなければ育ちが遅くなる。今だけでなく、先々へ考えを巡らせなくてはならない。02年全日本選手権は出場資格の年齢の壁をなくし、若年層にも幅広く門戸を広げた。当時小学6年生、12歳だった真央ちゃんはトリプルアクセルは跳ばなかったけど、3―3―3回転を降りて7位。ジャンプに確実性があり、ぶれない軸の強さがあった。戦うことにちゅうちょしない子だったけど、全日本に出す前の経験と考え、海外のノービス(ジュニアの下のクラス)の大会に出した。幼い頃に海外の舞台に立つという経験は、将来世界に出たときに必ず役に立つことだから。頼み込んで出させてもらった大会で、いつも真央ちゃんが表彰台の真ん中だから、欧州のジャッジたちに「ミセス・シロタ! またですか(笑い)」と、うらやましがられたりもした。

 荒川ら世代との交代後、最高のライバル安藤美姫らと黄金世代を築き、フィギュア界に多くの恩恵をもたらせてくれた(※注)。広いアリーナでジャッジ、多くの観衆を魅了する演技をするフィギュアスケートは、類いまれなる能力がないとできない。そのトップを突っ走って時代を築いた浅田真央には、今度は1人の社会人として、もう一つの大きな花を咲かせて欲しい。

 ※注 浅田の登場で日本スケート連盟はスポンサーやチケット収入が劇的に増えた。シニアにデビューした05年度に約6400万円だった単年度黒字は13年度に11億円超まで膨らんだ。

 ◆城田 憲子(しろた・のりこ)東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、ダンス部門全日本選手権2連覇。引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、98年長野五輪から、荒川静香が日本初の金メダルを獲得した2006年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた。国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪などの国際試合でレフェリー、ジャッジも務める。現在は羽生結弦が所属するANAの監督。

最終更新:4/12(水) 17:47

スポーツ報知