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【夢を追う】九州プロレス理事長 筑前りょう太さん(2)伝説のレスラーと初戦

産経新聞 4/12(水) 7:55配信

 《プロレスとの出会いは小学3年の頃だった。テレビで見た初代タイガーマスク(佐山聡氏)の格好良さに衝撃を受けた。きらびやかなマスクに、キレのある動き、空中殺法に夢中になった》

 放課後は友人とプロレスごっこに明け暮れ、自宅では金曜日夜の新日本プロレスのテレビ番組や、ビデオを見ていた。マスクや衣装も手づくりで作りましたね。よく考えれば、今やっていることも同じです(笑い)。

 小学校を卒業すると、友人たちはプロレス熱が、どんどん冷めていくが、自分は一向に冷めなかった。しかし、身体が小さく、プロレスラーになるのは夢のまた夢と思っていました。

 高校入学時は身長150センチ。クラスで前(小さい方)から2番目だった。大きくなりたいと、身体の片側を交互に大きく伸ばすような体操を独自に編み出し、毎日、自宅で励んだ。家族から白い目で見られましたが、気にしなかったですね。18歳になると180センチぐらいになった。クラスで後ろから2番目になっていました。

 初めてプロレスラーになれると思った。夢は思い続ければ形になる。そう悟った。

 《九州産業大へ進学し、プロレス研究会(現在は研究部に昇格)に入る。大学生活はプロレスラーになるための時間だった》

 練習はもちろんですが、身体づくりに1日10合のご飯を食べた。朝と昼は3合、夜4合。むちゃくちゃ大変だった。

 特に朝食と昼食の間隔が短く感じて仕方なかったです。朝やっとの思いで食べきったと思ったら、すぐ昼ご飯。また胃に詰め込まなきゃいけない。

 苦労は報われた。体重が大学入学時の60キロから100キロまで増えた。プロとしてやっていく自信ができました。

 《卒業後の平成9年、プロレスの本場メキシコへ渡る。翌10年1月4日、謎の覆面レスラーとしてプロレスデビューを果たす。対戦相手は何と、日本でも人気を博したレジェンド、ミル・マスカラスだった》

 デビュー戦がいきなりメーンイベントになった。典型的なメキシカンヒーローと東洋の悪役の対決という設定だった。

 でも相手はミル・マスカラス。緊張して、試合の1週間前からの記憶があまりないんです。あこがれの遠い存在と思っていたし、実際の試合も、掌の上で踊らされた感じがする。負けました。

 リングネームは本名(椎葉亮司)から取った「SHIBA」でした。

 その後もどちらかといえばヒール(悪役)でしたね。メキシコでは、ヒールに観客がビールを浴びせるんです。憎々しいヒールほど、たくさんビールをかけられる。ビールにどれだけ濡(ぬ)れるかが、ヒールとしての人気のバロメーター。最初は少し嫌だったけれど、ヒールとして観客を喜ばせた勲章のようなもの。だんだん楽しんでやるようになりました。

 ヒールは、たたずまいから素振りまで、かしこまらない。ある意味、自分自身を解放でき、素の姿に近いかもしれませんね。

 《それでも寂しさを感じた》

 表面的なあいさつを交わすだけで、心が通じ合えない。人恋しさはありました。九州の人々の温かさ、ラーメンのうまさ、街の美しさ。当たり前だったこと、九州の価値に初めて気付いたのです。

 それから、試合会場はメキシココールが響き渡っていました。

 スペイン語でメヒコというんですが、四方から聞こえる『メヒコ、メヒコ』という歓声が沸き起こる。自分が住んでいる地域や国の名前を、大きな声で叫び続けたことがあったかを考えた。日本では、あまりないですよね。

 みんなが同じタイミングで一つの言葉を叫ぶ。ファンとレスラーが一つとなって試合を楽しむ。しかもその姿は、地域への深い愛情に支えられている。

 みんなが今、一緒に生きているという空間を作れれば、最高だと思った。あのメヒココールは、今も脳裏から離れません。

最終更新:4/12(水) 7:55

産経新聞