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誰が地域分断した 諫干閉め切り20年 県と国元トップ語る

西日本新聞 4/12(水) 10:16配信

 国営諫早湾干拓事業(長崎県諫早市)を巡っては、漁業者と営農者の間で訴訟が乱立し、地域の分断を生んだ。混乱の大きな要因は、事業を進めながら、開門調査を命じた判決を確定させて事業をストップさせようとし、それが頓挫した国の“ぶれ”にある。国と二人三脚で干拓事業を進めてきた高田勇元長崎県知事(90)はその責任を、判決確定に携わった民進党の菅直人元首相(70)にあると主張。菅氏は農林水産省にあると訴える。

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 20年前、鋼板の“ギロチン”を落とすボタンは、実は仮スイッチだったという。農水省関係者によると、沿岸の首長ら11人が一斉にボタンを押し、全て押されるとランプが点灯、事務方が本スイッチを押した。地元では「だれも責任を負いたくなかったから」とのうわさも立ったが、システム上のトラブルを防ぐ手だてだったという。

 その仮スイッチを押した1人が当時知事だった高田氏だった。「長い時間がかかったけど、一段落したなと思った」。諫干事業は1952年の長崎大干拓構想が出発点。戦後の食糧難は徐々に解消し、86年になり、防災機能も加えて計画決定された。

「司法判断が分かれる前代未聞の事態を招いた」

 82年には当時の金子岩三農相(故人)から事業打ち切りを耳打ちされていたといい「『中止なら1500億円の護岸工事が必要』と説得した。金子農相は『防災の目的があるなら(規模を)縮小してやろう』と納得し、閉め切り面積を約3分の1に縮小する現在の事業に変わった」と打ち明ける。

 閉め切りから20年。漁業者は不漁を訴え続ける。「(調整池の水で)濁ると言うが影響は小さい」。主因は水と土砂の流入を減らした筑後川の筑後大堰(おおぜき)と主張し「ノリ養殖は豊作の年も多い。不作の時だけ干拓事業のせいにするのは、おかしいのではないか」。現在の混迷については「菅元首相の決断が間違い。司法判断が分かれる前代未聞の事態を招いた」と批判する。

 菅氏は首相だった2010年12月、開門調査を認める福岡高裁判決の受け入れを決断した。「上告する案としない案を作るよう農水省に指示したら、上告案しか作ってこなかった上に『開門調査には1千億円ほどかかる』と報告してきた」。官邸で専門家を集めて検証させたところ「開門調査費用は1桁小さかった。最後は私の責任で決めた」。

 菅氏は民主党の野党時代から事業への反対運動を展開していた。「防災機能は後付けで、公共工事そのものが目的だった」と強調し、上告断念の決断については「(調整池から)汚れた水が海に流れて漁業被害が出ており、(池の水質浄化のために)開門調査は当然行われるべきだと思った」と力を込める。

 だが開門調査は、営農者の反対のほか、13年11月に裁判で開門を禁じる仮処分が出て行われなかった。混迷の主因として強調するのは農水省の姿勢だ。

 「確定判決に従うのは当たり前。後に司法の判断がねじれるとは思わなかった。自らの失敗を認めようとせず、開門調査を行わなかった農水省のサボタージュ(怠慢)が大きい。それは今も変わっていない」と訴える。「どうすれば漁業被害が出ないようにできるか、原点に立ち返って考えるべきだ」

=2017/04/12付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:4/12(水) 10:16

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