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社説[北島角子さん死去]命の尊さを一人芝居に

沖縄タイムス 4/12(水) 7:35配信

 沖縄芝居で活躍した俳優の北島角子さんが、腎臓がんのため那覇市内の病院で亡くなった。85歳。

 劇作家で劇団の座長を務めていた父親・上間昌成さんの影響で戦後、沖縄芝居の世界に入った。沖縄戦後演劇の金字塔と評価される「人類館」(知念正真作)に出演したことが、大きな転機となる。

 劇作家の謝名元慶福さんは北島さんのために、一人芝居の「島口説(しまくどぅち)」を書き、舞台にのせた。民謡酒場の女主人が、歌にのせて戦後の庶民生活を語るという筋書き。「島口説」は全国で評判を呼び、1981年に文化庁の芸術祭優秀賞を受賞した。

 一人芝居の「赤いブクブクー」は戦争中、慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」を題材にしている。

 凄惨(せいさん)な現実を、とりつかれたような迫真の演技で表現し、観客にこう呼び掛ける。

 「みんなが愛する心を持てば、平和の風が吹かないわけがない」

 県内外での一人芝居の公演は1200回を優に超えるという。

 2015年5月3日の憲法記念日で、北島角子さんは語った。「平和ぬ心や やーうてぃどぅ 育ちゅる」。平和の心を育てるのは家庭である。それぞれが自分たちにふさわしい憲法をつくってみませんかと呼び掛けたのである。

 北島さんは、うちなーぐちによる一人芝居のジャンルを確立し、沖縄演劇の新たな可能性を切り拓(ひら)いた。と同時に、憲法9条を自らうちなーぐちに訳して朗読するという硬派の演劇人でもあった。

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 満州事変が起きた1931年、母親の故郷八重山で生まれ、生後まもなく、父親のふるさとである本部町に引っ越し、真珠湾攻撃の翌年42年に父親のいるパラオに渡り、パラオで敗戦を迎えた。

 うちなーぐちを本格的に習得し、沖縄戦の実相について学ぶようになったのは、沖縄に引き揚げ、一人芝居を始めるようになったころからだ。

 国権の発動たる戦争や武力の行使は永久にこれを放棄する、という憲法9条第1項の戦争放棄条項を北島さんは、こう訳している。

 「くにぬ『いくさすんどー』んでぃいゅる けんりんでぃいしん、いかなしん みとぅみやびらん」

 沖縄の人々の戦争体験に根ざした平和への思いや命の尊さを「うちなーぐちによる一人芝居」という表現手法で全国に発信し、うちなーぐちを知らない若い人たちからも共感を得た。

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 1963年にスタートした琉球放送のラジオ番組「民謡で今日(ちゅー)拝(うが)なびら」は今も根強い人気を誇る。北島さんは番組開始当初から昨年6月まで、53年間も出演した。

 沖縄の多くの人たちが、いつかどこかで、ラジオから流れるパーソナリティーの上原直彦さんと北島さんの軽妙で温かみのある掛け合いを聞いたはずだ。

 家族を大切にする人だったという。

 学生相手の公演では舞台のあとに「親のゆしぐとぅ(教訓)を大切に」とアドバイスするのを忘れなかった。

最終更新:4/12(水) 7:35

沖縄タイムス