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【関西の力】鉄道の力 20年越しの悲願 なんばパークス、歩行者天国…「まちは作って終わりではない」

産経新聞 4/13(木) 15:04配信

 ■南海の球場跡 変わらぬ活気

 □パークス、歩行者天国…「まちは作って終わりではない」

 昭和63年10月15日、大阪球場(大阪市浪速区)は満員だった。南海ホークス最後のホームゲームとなる対近鉄バファローズ戦。ホークスの応援団員、和田真治さんは、スタンドでコルネットを吹きながら思った。

 「普段からこれくらい人が入っていたら、チームは残ったのに」

 長く続いたホークスの低迷で客足は遠のき、親会社である南海電気鉄道の経営を圧迫。大手スーパー、ダイエーに売却する交渉が進んでいた。

 試合は主砲・岸川勝也の決勝本塁打により南海が6-4で勝利。満員のスタンドに向かって放物線を描く打球を見送りながら和田さんは「もうこれで終わるんやな」と涙を流した。南海電鉄に入社して2年目の秋だった。

 ◆使い回し

 大阪球場は、球団売却の翌平成元年に取り壊しが始まるはずだったが、バブル経済崩壊もあって後回しにされた。外観を残したまま、住宅展示場や駐車場、劇場と使い回されていた。

 同年7月、大阪球場を含めた南海難波駅の南側を中心とする約13ヘクタールの再開発を目指し、南海電鉄や高島屋など5社が「難波地区開発協議会」を設立。南海沿線の大阪・泉州沖で6年に開港する関西国際空港を念頭に、難波を「大阪の玄関口」にする構想を掲げた。

 しかし景気低迷は長引き、球場の解体工事が始まったのは10年。再開発事業の第1期は15年、第2期は19年に完成した。

 30階建てのオフィスビルに大型ショッピングセンター、緑を配した約1万1500平方メートルの屋上公園、映画館…。「なんばパークス」と名付けられたまちには、開発には総額790億円が投じられた。

 「20年越しの悲願」だったと南海電鉄の山中諄(まこと)会長は言う。

 都市部の駅は、時代の流れに沿って姿を変えながら、まちに活気を吹き込んできた。開発は鉄道会社の力の見せ所だ。

 最近では、阪急西宮スタジアム跡地(兵庫県西宮市)が大型商業施設「阪急西宮ガーデンズ」となり、JR大阪駅北側の貨物ヤード跡地には複合ビル群「グランフロント大阪」が建設され、個性を競い合っている。魅力を維持し発信していくことも重要な課題だ。

 ◆社会実験

 南海ホークス惜別の涙を流した和田さんは今53歳。南海電鉄の営業推進室なんば・まち創造部長の職にある。20年ごろから継続的に、大阪球場跡を中心とした難波駅周辺のまちづくりに携わってきた。

 和田さんがまちづくりの部門に配属された当時、「地元とは付かず離れずでいい」と言われることもあったが、そうは思わなかった。「地元にどぼーんと入り込まないと沿線の価値を上げることはできない」

 以前に所属していた経理部門では、他部門の担当者を呼び出すのではなく自ら足を運ぶ方が、仕事はうまくいくことを実感していた。「まちづくり」もその延長だ。

 和田さんは地元のイベントにはまめに顔を出し、酒を酌み交わし語り合った。そこで「難波駅前の広場を歩行者天国に」という地元の商店主らの構想に出合った。和田さんは商店や行政をつなぐ仲介役として各方面に足を運び、構想を実現に近づけていった。

 そして昨年11月11日。駅北側を歩行者天国とする社会実験にこぎ着けた。3日間、約1200平方メートルの広場を作り、屋外カフェや雑貨店、ヨガ、着付け体験などを日替わりで開いた。

 イベントは期間中延べ約9万人を集めた。南海ホークス最終戦の観客約3万2千人と互角だ。大阪市は恒久化も検討している。

 和田さんは「まちは作って終わりではない。うまく回っていくためには、住む人の気持ちに沿わなくては」と話す。華やかさで人々を引きつける駅は人のつながりで生かされている。

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 この回は、織田淳嗣が担当しました。

最終更新:4/13(木) 15:30

産経新聞