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ロシアではなぜ革命が起きたのか?

4/13(木) 11:00配信

ニュースソクラ

ロシア革命100周年、団結と和解を強調するプーチン政権

 今年はロシア革命100周年にあたり、日本でも関連の本が出版され、新聞記事も散見されるようになった。ロシア革命が世界情勢に大きな影響を与えた歴史的出来事であることは間違いない。

 しかし、評価は難しい。現代ロシアでも革命を高く評価するのか、それとも非難すべきであるのか意見は分かれる。ウラジーミル・プーチン政権は評価が国民に亀裂を引き起こさないよう慎重に対応している。

 基本的なことで恐縮だが、ロシア革命には、二月革命と十月革命がある(二月、十月とも当時採用されていた旧暦に基づく呼称。現在では三月、十一月である)。

 前者では皇帝ニコライ二世が退位してロマノフ王朝が終焉、代わって臨時政府が発足した。後者ではウラジーミル・レーニンが率いるボリシェビキが臨時政府を打倒し、ソビエト政権を樹立した。そのソビエト政権が1991年12月まで約74年間続いた。

 ロシア革命を振り返る場合、まず、なぜそれが起きたかが問われる。様々な受け止めがあるが、二月革命、十月革命に共通する発生要因は戦争(第一次世界大戦)と国民生活の困窮に突き詰められる。この二大要因が統治者への反発を呼び起こした。さらに十月革命についてはレーニンの革命遂行の強固な意志、陰謀的とも言えるような手練手管を使った巧妙な政治術を指摘できる。

 ちなみに二月革命にボリシェビキはほとんど役割を果たしていない。二月革命は生活に困窮した農民や工場労働者らによる自然発生的な革命だった。

 ロシア革命は要するに国民生活の疲弊という客観情勢と革命指導者の主意的な要素が組み合わさって遂行された。

 ロシア革命に対する評価は、革命それ自体の経緯のほか、その後の展開への評価をも含まなければならない。つまり、十月革命後の内戦、大飢饉、大粛清、第二次世界大戦、経済停滞など様々な災厄、危機も考慮される。

 そのことを踏まえた上でプーチン政権の対応をみると、ひとことで表現するなら、賞賛も非難もしない、ただし無視はしないということになろう。ロシアのある歴史学者によると、ロシアには革命を偉大な国家を葬り去った弔鐘だと受け止める人たちと、ソ連時代は自分たちの人生の最高の時だったと回顧する人たちがいる。政権があえて特定の解釈を押しつけて、対立を煽る必要はないという判断だ。

 プーチン大統領は昨年12月1日の議会向け演説で「(2017年は)革命の原因と本質を見つめ直すいい機会だ」「それは我々の共通の歴史であり、尊敬の念を持って扱わなければならない」と述べ、その上で「我々は一つのまとまった国民であり、ロシアは一つだということを認識しよう」と強調した。

 ロシア歴史学会の会長を務めるセルゲイ・ナルイシキン氏(対外情報庁長官、前下院議長)は昨年末、革命を「祝うべきではない」と述べ、革命からは国民の団結、連帯、和解の必要といった教訓を学び取るべきだとの考えを示した。

 こうした発言からは、ロシア革命は大量の血を流すことにつながる悲劇だったが、歴史的事実として重く受け止め、社会の分裂を避ける教訓にしたいとの思いが感じ取れる。

 モスクワ赤の広場には今もレーニン廟があり、遺体が公開されている。時々、遺体の再埋葬を求める声が出るが、政権が現状を変更しないのもそうした同じ思いからだろう。

 2000年代初めから半ばにかけて旧ソ連諸国のウクライナ、グルジアでは「カラー革命」と呼ばれる政変劇が起き、ロシアでも2011年から2012年にかけ反政権デモが盛り上がり、プーチン大統領は肝を冷やした。これも国民の中に対立をもたらす動きには神経質になっている理由だろう。

 私見では、一般的に革命を回避するには、国民に経済的恩恵をもたらし、政治的陰謀を成功させないしっかりした政治制度を築き、さらには国民を統合するための正統的な歴史的基盤に立脚する--などの条件が不可欠だ。革命が起きたロシアではこれらの条件が欠けていた。

 ところで現在、世界に残る共産主義大国は中国だが、その中国は今後どうなるのか。英オックスフォード大の碩学、アーチー・ブラウン教授は著書『共産主義の興亡』の中で「経済の業績に正統性を依拠せざるを得ない権威主義体制は、業績が下がったときに特別な困難に直面する」と指摘、経済的恩恵を与え続けることができるかどうかがカギだと指摘している。

■小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。
現在、国際教養大学客員教授。

最終更新:4/13(木) 11:00
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