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<熊本地震1年>76歳持田さん「妻に救われた命」生きる

毎日新聞 4/14(金) 0:49配信

 熊本県御船町の持田武久さん(76)は昨年4月の熊本地震で、50年連れ添った最愛の妻哲子さん(当時70歳)を失った。2人とも倒壊した自宅の生き埋めになり、持田さんだけが助け出された。身動きがとれない暗闇の中で哲子さんが「お父ちゃんばはよ助けてください」と携帯電話で通報していたのを後に知った。地震から1年。妻が残した子や孫のために、もう少し生きようと思う。「それが母ちゃんへのお礼だから」【佐野格】

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 「母ちゃんが漬けてくれたらっきょなんだよ。納屋にあったから無事だった。食いなっせ」。持田さんに勧められ一粒いただくと、口の中に優しい、甘酸っぱい味が広がった。「おいしいです。カレーにぴったりですね」。記者が感想を言うと「母ちゃんのライスカレーはうまかったよ」とつぶやいた。

 御船町で代々農業を営む持田さんは昨年4月15日、早朝から哲子さんと前夜の前震で崩れた稲の苗箱などの片付けに追われた。もう一度、大地震がくるとは夢にも思わず、2人は1階の別々の部屋で眠りについた。「ドーン」という大きな揺れに襲われたのは日付が16日に変わって間もなくだった。

 家は築80年を超す木造の2階建て。気づくと、天井が目の前に迫っていた。「大丈夫か哲子」。思わず叫ぶと「はーい」と返事があった。持田さんは数時間後、ほぼ無傷で消防団に救助されたが、はりの下敷きになった哲子さんは朝になって心肺停止状態で見つかった。

 悲しむ暇もないまま通夜や葬儀を執り行った。数日後、突然悲しみに襲われた。「母ちゃんもいない。家もつぶれた。『死にたい』と思った」。熊本地震で同町唯一の直接死だった。地震後しばらくして町長が見舞いに来た。その時、哲子さんが生き埋めになりながら町役場に通報していたという話になった。

 「自分が死のうとしているのに、人のことまで」。さらに悲しみがこみ上げた。それでも「哲子が腹を痛めた子が3人もいる。頑張らないかん」。前を向くと決めた。

 田んぼや畑に出れば、担ぎ上げるコメやタンクなどの重さが肩や腰に響く。哲子さんが負担してくれていた半分の重さ。「2人でしていた仕事をつい1人で無理してやってしまう。母ちゃんと助けあって生きてきたことをしみじみ感じている」

 昨年12月には金婚式を迎えるはずだった。「心穏やかで料理も上手。優しい母ちゃんだった。お祝いに親戚のいるアメリカに行こうと楽しみにしていた」と唇をかみしめる。

 持田さんは昨年夏から益城町のみなし仮設住宅のアパートで1人で暮らしている。田植えの準備に忙しい今の時期は田んぼがある御船町に通う日々だ。「死ぬまで悲しいよ。でもへこたれるわけにいかないから」。自宅近くの畑に長男家族と住む家を建てることも決め、図面も完成した。「誰を恨んでも仕方ない。現実を見つめて生きていこうと思う」。そして哲子さんに伝えたい。「母ちゃんありがとうな。50年間見守ってくれて」

最終更新:4/14(金) 5:00

毎日新聞