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「人間さえ良ければよいのか?」人間中心主義思想から考える交雑ザル殺処分

4/22(土) 10:10配信

THE PAGE

 2月に千葉県富津市、高宕山(たかごやま)自然動物園で交雑ザル57頭が殺処分されました。特定外来生物法に基づいての駆除ですが、この処分をどのようにみるか、環境思想論を専門とする三重短期大生活科学科・南有哲教授が、環境倫理の視点からこの問題を論じていきます。

増殖する外来生物と在来生物の「交雑種」 放置し続けてもいい問題なのか?

 前回1回目は「交雑ザルの殺処分をめぐる環境倫理学説」をテーマに、自然や環境に関わることをあくまで「人間の利益」・「人間中心の価値観」においてとらえ、対処しようとする「人間中心主義」という思想と、「人間中心主義」を乗り越える新しい思想・新しい倫理として「全体論的な環境倫理学」という思想が紹介されました。

 2回目はテーマを「人間中心主義の立場から」に据え、「人間中心主義」の思想の場合は、この問題をどのように考えるのか、説明します。

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近代哲学の巨人・カントの考え

 では、これまで批判の対象となってきた「人間中心主義」の側は、動物をめぐるこの種の問題をどのように考えるのでしょうか? ここで登場するのが近代哲学の巨人と言えるイマニュエル・カントです。カントは動物の虐待や単なる知的好奇心に基づく実験、さらには過度の使役 ── カントの時代には役畜は不可欠の存在でした ── を否定するのですが、その論理は動物の解放や権利を説くそれとは全く異なります。

動物への残虐な行為は人間自身の道徳的義務に反する

 カントはまず、人間にとっての道徳的配慮の対象は人間 ── これには他人のみならず、自分自身も含まれます ── に限定されるのであり、動物はそれに含まれないと明言します。すなわち動物に対しては、私たちは道徳的に振る舞う義務はないというわけです。

 したがって肉食や使役といった動物の資源としての利用そのものは何ら否定されないのですが、だからと言って動物に対しては何をやってもかまわないというわけではありません。カントは虐待や過度の使役といった動物に対する残虐な行為は、それを行う人間自身の道徳性を損なうことになるので、自分自身に対する道徳的義務に反する、として批判します。

 平たく言えば、「動物を苛めて喜ぶような心を持つと、人間に対してもロクなことはしない。だからそんな心になってしまうようなことをしてはならない」ということでしょう。 動物虐待と道徳性の関係は、カントが考えたほど単純ではないと思われますが、動物への対応が人の心へ様々なインパクトを与えるのは確かですから、動物を扱う際にはその点への配慮が必要なのだという指摘として、この議論を積極的に捉え直すことが可能です。

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最終更新:4/27(木) 6:01
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