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さらばウルトラの母…歌手のペギー葉山さんが死去 デビュー65周年で精力的に活動していた矢先…

夕刊フジ 4/14(金) 16:56配信

 12日に肺炎のため83歳で急死した歌手、ペギー葉山さん。今年デビュー65周年という節目を迎え、精力的に活動している矢先だった。「ドレミの歌」を訳詞するなど、日本を代表するポップス歌手としてだけでなく、中高年には“ウルトラの母”としてもなじみ深かったペギーさん。またひとり、戦後の芸能史を彩ったスターが旅立った。

 ペギーさんは今月10日、体調を崩し、東京都内の病院に入院。その後、肺炎を起こして12日午前に死去した。

 「今年はデビュー65周年とあって、テレビや新聞の取材を精力的にやっていた。先月29日にも東京・日生劇場でステージに上がっていただけに、まさに急死」と音楽関係者も驚きを隠せない。5月にも大阪でのコンサートが予定されていた。

 ペギーさんは戦後、ムッシュかまやつさん(3月1日死去、享年78)の父であるティーブ・釜萢氏の口利きで、ジャズバンドの専属歌手として活動を開始。

 1952年にレコードデビューした後は、「南国土佐を後にして」(59年)や「学生時代」(64年)といったヒット曲で知られる。デビュー後、レコーディングした楽曲は約2009曲にのぼり、2016年には新曲「おもいでの岬」を発表していた。

 なかでも「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌「ドレミの歌」を訳詞。あの「ドはドーナツのド」の歌詞の生みの親であり、今では教科書にも掲載されているほどスタンダード化した。

 「40歳以上の中高年にとっては、歌手としてもそうだが、『ひらけ!ポンキッキ』のしつけコーナーや、『ウルトラマンタロウ』でのウルトラの母役、特に地上での姿だった“緑のおばさん”の印象のほうが強いのではないか。夫だった俳優の根上淳さん(故人)も『帰ってきたウルトラマン』に出ており、夫婦そろって特撮ファンにはなじみ深かった」とマスコミ関係者。それだけに幅広い層に愛された歌手だった。

 音楽評論家の富澤一誠氏は「歌謡曲の歌手とは一線を画し、品があって、大人の雰囲気をもった実力派のシンガーだった。ヒット曲の『南国土佐-』も『学生時代』も、当時の歌謡曲のなかではちょっと違った。今聴いても色あせることがないのは、ペギーさんの歌唱のおかげだろう。まさに日本のポップスを作り上げた人だった」と話す。

最終更新:4/14(金) 16:56

夕刊フジ