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広島で被爆、マレーシア帰国後は日本語教育…元留学生の思いは世代超え

産経新聞 4/14(金) 7:55配信

 ■皇太子さま、家族とご対面へ 「功績、知ってもらう機会に」

 先の大戦中にマレーシアから日本に渡り、広島で被爆した留学生たちがいた。九死に一生を得たアブドゥル・ラザク氏は帰国後、被爆体験を語り継ぐ一方、同国の東方政策で日本語教育の中心を担い、多くの留学生を日本に送り出した。運命を翻弄した日本への敬意を4年前に88歳で死去するまで持ち続けていた。13日にマレーシア入りした皇太子さまは14日、ラザク氏の長男と対面される。(クアラルンプール 伊藤真呂武)

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 ラザク氏は日本統治下の同国で南方特別留学生に選ばれ、昭和19年6月に来日。東京大空襲に遭い、戦禍を逃れて広島文理科大(現広島大)に移った後の20年8月6日、被爆した。同郷の1人は翌日に息絶え、もう1人も、1カ月たたず避難先で命を落とした。

 帰国後に教師となったラザク氏はマハティール元首相が東方政策を掲げると、留学生、研修生候補の日本語教育に力を注いだ。「技術だけでなく、日本人の勤勉さも学んでほしい」。生前、産経新聞の取材にこう語っていたこともある。

 50年近い交流があった元拓殖大教授の小野沢純氏は「ラザク先生にとって日本での体験は悲惨なものばかりでなく、良い印象が残っていた。自分と教え子を重ね合わせながら、日本の良さを伝えようとしていたのだろう」と代弁する。

 日本語教育と同時に被爆体験、戦争の悲惨さも語り続けた。「日本人ではなく現地人のラザク先生が語ることで、占領された日本に悪い感情を抱いていた人にも響いた」(小野沢氏)

 ラザク氏の長男は図らずも教育者となり、日本文化の普及に携わる。「現地では著名なラザク先生の存在が、日本ではほとんど伝わっていない。両国の懸け橋となったラザク先生の功績を知ってもらう機会になればいい」。小野沢氏はそう願っている。

最終更新:4/14(金) 7:55

産経新聞