ここから本文です

【二十歳のころ 具志堅用高(4)】世界切符つかむため…あきらめた成人式

サンケイスポーツ 4/14(金) 15:00配信

 僕は成人式に出られなかった。沖縄から上京して2年足らず。「沖縄に帰れませんかね」と協栄ジムの金平正紀会長にそれとなくほのめかしてみたけど、「大事な試合の前なのは、オマエも分かっているんだろ」と許してくれなかった。

 毎年1月15日が当時は成人の日。1週間ぐらい後に世界挑戦につながる大一番が控えていたから、成人式はあきらめるしかなかった。

 昭和51(1976)年1月23日、場所は川崎市体育館。このプロ7戦目には、ジュニアフライ級の世界王座挑戦者決定戦の意味合いがあった。相手は米国のセザール・ゴメス・キー。14戦全勝12KOの猛者だったけど、7回KO勝ちして世界挑戦のチャンスを手に入れることができた。

 ボクシングは私生活を犠牲にしなければ駄目だ。それが、辛い場面で踏ん張れる下地になる。僕も成人の日は6畳のアパートで静かにしていたから、戦いに勝てたと思う。やはり、我慢は大切なんだよ。ハングリーだったんだ。

 4回戦ボーイのころ、試合で着けるグローブはひどかったね。ところどころ中の綿が飛び出していて、色も茶色。「何でかな」と思ったけど、赤が古ぼけて変色していたんだな。

 朝のロードワークでは皇居の周りをよく走った。日本へ試合に来ていた外国のチャンピオンも結構走っていた。アルフォンソ・ロペス(パナマ)とかね。彼はフライ級の世界王者だったけど、まさか対戦することになるとは思わなかった(昭和54年4月、8度目の防衛戦で7回KO勝ち)。走った量は僕の方が多いと、これだけは自信があった。

 あのころは、試合当日の朝が計量だった。それが終わって十数時間後がタイトルマッチだから、腹いっぱい食べることなんてできやしない。チャンピオンになってからもそうだった。今は前日計量。選手の健康を考えればいいことだけど、辛さは全然違うよね。

 最近はデビューしたての新人でも、新品のグローブを着けられる。携帯電話もあるし、欲しいものはインターネットで簡単に手に入れられる。我慢することが難しい世の中になったね。ハングリーでいることも、難しくなった。指導する立場になって、そう感じるよ。

 僕のジム(白井・具志堅スポーツジム)には、世界を狙えるホープがいる。比嘉大吾。沖縄生まれの21歳。5月20日に東京・有明コロシアムで、WBC世界フライ級王座に挑戦するところまでこぎつけた。

 パワーはフライ級ではナンバーワン。僕と同じ21歳で世界の頂点に立てるかは、どれだけハングリーな気持ちで挑めるかにかかっている。それができて、戦術面がかみ合えば絶対に勝てる。僕の21歳のころを思い返すと、彼の方が強いよ。

  (おわり)

最終更新:4/14(金) 15:00

サンケイスポーツ